河村部隊甲副官 田中徳祐大尉の叫び!

田中大尉はサイパンの戦いに参加し奇跡的に生き残り45年(昭和20)12月になって降伏。
この時米軍に投降するのを拒み、昭和陸軍の降伏命令書を要求して47人の兵士と共
に降伏しました。

44年6月15日の米軍上陸以来、田中は中隊を率いて執拗に夜襲をかけ先頭に立って米
軍陣地に飛び込み何度も意識を失いながら生き残った兵士を集めては夜襲をかけます。

6月18日既に命令系統は乱れに乱れます。将官南雲忠一海軍司令官、五根司令官、
海軍水上基地司令官、斉藤義次陸軍最高司令官、糧秣廠司令官等々----各将官が各個に命令を下し、陸軍も海軍も別個に行動を起こし、しまいには戦闘に参加する部隊が
あるかと思えば、命令だからと後退する部隊もありました。

同日夕方田中は意識が戻って司令部に将校として報告に向かうと、斉藤司令官は参謀
達と机上の作戦を練っている。田中は傷の手当を受け、水を欲して机上の残り水の入
ったコップを一気に飲むと、それは酒だった。その瞬間田中は怒りに震えます。酒を飲みながら作戦を練るとは----

田中は兵士全員は肉弾となって攻撃を続けたと繰り返し「以後、適確なる命令と、各
部隊の密接な戦闘計画なくば敗戦の連続です」と報告。斉藤は激怒し「適確なる命令とは何だ!命令を何と心得とるか大元帥陛下の命令なるぞ。軍人は死するは本望だ死せばよいのだ」と言った。

田中は引下がらない「閣下、我々軍人は命令に従って死せば戦闘に勝てるのですか。
尊い生命を惜し気もなく、一塊の小石の如く捨てれば勝てるのですか」斉藤は「無礼
者」と言って田中の頭に軍扇を打ち下ろし、田中を狂人呼ばわりして喚くだけでした。

昭和陸軍の指導者が戦場の様相を具体的になに一つ知らず、自らが一方的に不敗を信
じ、それが裏切られると現地の将兵に責任を押付けるのである。それがエリート集団
参謀本部なのだ。サイパン陥落時東条は、泥水がはねたようなものと強気を装います。


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