作戦変更―ルソンからレイテへ

小磯内閣成立まもなく参謀本部と軍令部は今後の決戦態勢を確認。敵に一泡ふかせ戦
終結のチャンスを掴まんとする捷号作戦を立案。44年(昭和19)9月26日第14方面軍
司令官(比島)に第1方面軍司令官山下奉文を、参謀長に近衛第2師団長武藤章を任命。

この人事の直前、フィリピンに到着した軍需物資は計画の20%、将兵は15%にす
ぎず、フィリピン基地航空力は空爆によって実動機188に減少していました。山下
はマニラに着任前大本営に寄り細部を打ち合わせ、主戦場をルソン島と決定します。

米軍は原住民情報から日本軍の防備弱体を知り、日本の航空力を叩く陽動作戦を実施。米軍は10月10日沖縄方面を爆撃し、日本の九州・台湾の基地航空隊が出動するとみるや方向を転じてルソン島基地を襲撃したのち、12日台湾南部を攻撃。これに対し海軍の精鋭を集めたT部隊、母艦機などが4日間に延べ905機が出動。(台湾沖航空戦)

この航空戦で大本営は日本軍の未曾有の大勝利と発表、国内に興奮の渦を引起します10月14日出張で九州の鹿屋基地に着いた大本営情報参謀堀栄三少佐は、帰還したパイロットの確たる証拠のない過大な戦果報告がそのまま軍令部に届けられるのを見て、この航空戦の戦果に疑問ありと打電。しかし大本営作戦参謀瀬島龍三中佐はこれを黙殺してしまいます。

海軍の連合艦隊司令部は10月17日、依然として台湾沖に空母7隻、戦艦7隻からなる
米海軍機動部隊が遊弋しているのを発見。戦果が虚報であったことを知ったがこの事
実を陸軍側に知らせることはありません。

山下のもとに大本営情報参謀杉田一次がやってきて、「先日の台湾沖航空戦で米海軍
は潰滅的な打撃を受けている。急遽レイテで決戦を行う」山下は「レイテ、レイテというがマニラから600K離れたレイテに兵力をどう送るのか、船団もないではないか」と反対を繰り返します。

大本営の作戦部は情報を軽視するだけでなく、自分達に都合の悪い情報はすべて「作
戦主導」の名のもとに握りつぶしてしまうのである。


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