共産主義を否定しない木戸内大臣

大島浩駐独大使は、リッペントロップ外相からヤルタ会談ソ連が対日参戦を決めた
と知らされ、2回にわたり外務省に伝えます。しかし45年(昭和20)2月23日ストックホルム岡本季正公使は重光葵外相宛にソ連が対日参戦を決めた情報は誤りと伝えます。

3月の時点では外務省はソ連を仲介として和平工作することを決めていない。重光外
相は駐日スウェーデン公使バッゲを通じて英米との直接和平を模索していたのである。
大島の電報が重光まで届いていれば英米との和平が進み終戦が早まっていたであろう。

OSSヨーロッパ総局長アレン・ダレスは中立国スイスを舞台に日本との和平工作
展開します。4月初め海軍中佐藤村義朗、朝日新聞社笠信太郎、フリードリッヒ・ハ
ック(独人)らによる英米直接和平工作の詳細は豊田副武軍令部総長、米内海相宛に2
0数回打電されたがことごとく無視されます。

天皇の側近内大臣木戸幸一が3月3日に知人に語った言葉が残されている。「共産主
義と云うがそれ程恐ろしいものではない。世界中が皆共産主義者ではないか。欧州も
然り、支那も然り、残るは米国位ではないか--ソ連仲介の工作を進めれば共産主義者
の入閣を要求するだろうが不面目でなければ受け入れてもいい」とまで語ったという。

4月5日ソ連から日ソ中立条約を延長しないと一方的に通告されます。これでソ連
侵略的意図を膨らませていることは明白となりました。が、一刻も早く米国との直接
和平を実現しようとはならないのである。

同日の重臣会議に先立って、木戸は両総長と個別に会談。梅津美治郎参謀総長は「沖縄戦の見通しは良くなく、石油も心配だが徹底抗戦の態度で進むべき」と主張。及川古志郎軍令部総長も石油は6月までしか持たないとしながらも徹底抗戦を主張します。

岡部伸によればこの当時、ルーズベルト政権には2百人を超すソ連のスパイや工作員が潜入していたと言われる。国務省にはコミンテルンのスパイが多かった。ルーズベルトの側近としてヤルタに同行、国際連合設立に関与したアルジャー・ヒスはソ連のGRUのエージェントであった、という。

加えてヤルタ会談の前にスターリンルーズベルトがアルヴァレス病であることを掴みそれを奇禍として対日参戦の見返りを要求し合意させたのである。しかもチャーチルを外すためルーズベルトら米国側が宿泊するリヴァディア宮殿での会談であった。

ソ連の不利となる海外情報はすべて握り潰され、日本政府や軍の機密情報はソ連に筒抜けだったと言わざるを得ない。


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