空襲―無差別殺戮

米軍が必要としたのは、日本本土を直接爆撃できる空軍基地を入手することでした。
ソ連厭戦からドイツとの講和を考える以前に沿海州ソ連空軍基地を利用すること
で、42年(昭和17)12月30日ルーズベルトはこの旨の親書をスターリンに送付します。
しかし、スターリンは日本を不必要に刺激するとしてこれをヤンワリと退けます。

44年6月16日中国の空軍基地から飛び立ったB29が北九州を空襲して以来、連日の
ように繰返された本土空襲は、銃後の生活を直接危険に陥れました。人々は防空頭巾
と三角巾を持ち歩き、胸や下着・ズボンに名札をつけ隣組の防空訓練で消火法を学習。

東京都北多摩郡の中島飛行場は、11月24日と12月3日、27日にサイパンから飛び立っ
たB29の集中攻撃を受け、45年2月以降群馬県の太田工場なども爆撃されます。このほか、各種軍需工場も狙われ、関門海峡には機雷が投下され輸送力が破壊されます。

硫黄島の激戦中に、ドイツ空爆で活躍したカーチス・ルメイ中将がマリアナ方面の指
揮官に赴任します。彼が直ちに考案したのが夜間低空飛行による焼夷弾攻撃でした。

東京は3月9日、4月13日、5月25日の大空襲を中心に、前後102回の空襲を受け
焼野原になる。関東大震災に比べ焼失家屋・被災人口で2倍、死者で1.5倍の被害。
地方都市では甲府・浜松・日立が7割以上、京浜・阪神・中京地区が6割以上焼失。

マリアナ基地からの爆撃のほか、硫黄島・沖縄からの来襲が加わり、さらに艦載機が
7月以後大量に空襲し、一般国民を低空射撃するようになった。空襲での全国死傷者
66万5千人、焼失家屋230万戸、被災者は1千万人を超えました。国富の損失は
653億円に及び、現在の貨幣価値に換算すれば50〜60兆円に達するであろう。

無差別攻撃を指揮したルメイは後に大将に昇進し、日本政府は戦後、ナント!彼に勲一
等の勲章を差し上げました。これには言葉がありません。


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