マンハッタン(原爆製造)計画

原爆はドイツが造ると大変なことになると、アインシュタイン博士がルーズベルト
手紙で警告したことがきっかけとなって製造を開始。米国は41年(昭和16)12月の真珠
湾攻撃の頃、50万人・20億ドルを投じて製造に全力を挙げ、原爆製造の目途がつ
いたのは43年5月頃でした。

当時は独ソ戦が戦われ標的はドイツかといえば、実は既に日本が標的となっていまし
た。45年4月23日付グローブス少将(マンハッタン計画の総指揮者)のスチムソン陸軍
長官宛ての手紙の一節に「目標は一貫して日本」とあります。米国のみならず欧州人
による有色人種蔑視は、現在に至っても脈々と続いていると言わねばならない。

5月7日のドイツ降伏後のヨーロッパ処理を巡って、ソ連英米と協調する気は全く
なく、取れるものは全部取っていくという横暴な国であることがわかり、米国はソ連
参戦前になんとか日本を降伏させたいと考えます。

7月16日午前5時30分(現地時間)ニューメキシコ州アラモゴード南方の砂漠の中のホ
ワイトサンズ実験場で、人類初の原爆実験が行われこれが正に成功し、破壊力は僅か
5トンの原子爆弾が、TNT火薬2万トンに相当する威力をもつと観測されました。

その直後にはモスクワの知るところとなり、スターリンは7月17日に始まる米英との
首脳会談のため、ベルリン西郊のポツダムに赴く特別列車の車中でこの報を聞き、ポ
ツダムの宿舎に入るや、電話でワシレフスキーを呼び出し「日本への攻撃開始を10
日間繰上げよ」と命じます。

ドイツから英国人に帰化したクラウス・フックスはロス・アラモス(原爆製造工場)の
英国科学者チームの一員で、米国の原爆製造開始の直後からソ連に十分な情報を与え
ます。またロス・アラモスの米軍技術者グリーングラスソ連の有能なスパイでした。

原爆投下の最終決定はトルーマン(日本軍を黄禍と表現したルーズベルトは去る4月12日逝去)の手にあり、彼は真珠湾攻撃と捕虜の虐待を挙げ「日本が理解すると思われる唯一の言葉がこれである」と言い放ちました。



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