責任を必死に果した将兵たち

45年(昭和20)8月9日午前1時前、満州東部にある地下要塞、虎頭要塞を防備する第
15国境守備隊1,400名(部隊長西脇武大佐)にソ連軍が侵攻を開始。西脇は8日から 120キロ後方の掖河で開かれる作戦会議参集を命ぜられ任地を留守。砲兵隊長大木正大尉が隊長代理として指揮を執ります。

大連に出張中の総司令官山田乙三にかわって秦彦三郎総参謀長は、午前6時に至り「
侵入し来る当面の敵を撃破すべし」と全軍に命令を下達。

虎頭守備隊は13時砲撃を開始。とっておきの最大射程50kmの40センチ榴弾砲の威力
は大きくイマン鉄橋の一部を破壊しシベリア鉄道を不通状態にし、22時歩兵部隊は宿
営するソ連軍に対し、得意な夜間白兵斬込み突撃を開始します。この激戦は天皇放送
後も続き、最後まで残った虎嘯山陣地は8月26日15時半潰滅し永久要塞は全滅します。

第124師団(師団長椎名正健中将)はソ連軍の猛攻に5日間耐え、牡丹江在留邦人3
万人の後退を完了させてから停戦。奉天の第107師団(安部孝一中将)も健闘して邦
人を無事退避させました。

内蒙古の駐蒙軍(司令官根本博中将)は8月13日張北でソ連軍と激戦を展開。17日張家
口に飛来したソ連飛行機から爆弾と共にワシレフスキー元帥名のビラが大量に散布されます。「日本は既に降伏している。張家口方面の指揮官だけが天皇の命令に服従せず戦闘を続けているのは不思議である。直ちに降伏せよ。降伏しないなら指揮官は戦争犯罪人として死刑に処する」とありました。

20日支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は根本に対し「血涙を呑んで戦闘を停止し武器
引き渡し」を電報で厳命。根本は武器引き渡しを実施したら邦人の生命を守れないと訴えます。

15年前の根本中佐は参謀本部支那班の班長で、陸士同期のロシア班班長橋本欣五郎
中佐との情報交換でソ連軍の本質を見抜いていました。根本は軍の犠牲者を出しながらも応戦して、4万の張家口邦人の全員引き揚げを成功させました。


レース結果共鳴チェック