レーニンとスターリン

スターリンの暴虐性が余りにも過激であったため、紳士然としたレーニンがまるで良
い政治家に見えてしまうが、レーニンは革命のためには殺人・テロ行為等政府弱体化
には何でも奨励しました。彼は18年強制収容所をつくり、どんな罪を犯したかではな
くどんな出身なのかで罰しました。聖職者、帝政時代の将校、経営者、貴族というだ
けで敵と判断し収容所送りとしました。

スターリンは革命当時、地味な存在でレーニンの影法師に徹します。07年〜10年の間
に4300人以上の政府役人が殺されました。全てではないがスターリンも関与して
いたと言われています。資金調達では07年6月国営銀行ティフィリス支店を襲撃略奪
しました。汚れ仕事を厭わず請け負い、暴力団のようなゴロツキをうまく操るスターリンは、レーニンにとって貴重な存在だったのです。

22年スターリン共産党書記長になり人事と金を掌握し、党と政府について精通しま
す。更に党や政府の幹部、軍や秘密警察にまで盗聴電話を仕掛け情報を収集し、政敵
トロッキー追落しを図ります。それはレーニンの死後実現されました。

28年スターリンソ連の工業化を目的とする第一次五ヵ年計画をスタートさせました。
しかし機械を買う金はない。29年偽造$100札が世界に出回ったが、調べていくとド
イツの小さな銀行に行き当り、この銀行がソ連に買収され偽札を流通させていました。

32年全ての農民に、到底不可能な量の食料供出命令を下し、人工的に飢饉をつくり出
します。機械を得るための穀物輸出量は、餓死者の数と比例していきます。この飢饉
で1450万人が死亡。スターリンは言いなりになる部下をつくり様々な恩恵を与えました。どれほど大飢饉が起きようと一部の特権階級は、全然不自由しないのです。

もし、良識をもってスターリンの政策を批判すれば、特権が剥奪されるだけでなく、飢えた現場に送り込まれ、明日は自分が苦しむことになる。この恐怖がスターリンに従わせたのである。これが共産主義国家の真の姿なのだ!

世界にはいまだに「スターリンの息子たち」がいることを忘れてはならない。


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