正しかった近衛文麿の指摘

ヤルタ会談スターリンは対日参戦を切札にして、ロシア帝国が失った領土と権益の
奪還を強調したが、結果はソ連の一方的な攻撃でそれ以上のものが略奪されました。

満鉄の財産50億円、日本政府が満州国にもっていた資産22億円、満州国政府の資
産10億円、在満法人のものが260億円、個人財産の推計58億円、合計400億円と算定され、現在の価値に換算すると何十兆円になるであろうか。このほかに満州の紙幣だけでなく日本銀行券、朝鮮銀行券、社債・株券など有価証券、計80億円を超え、金塊は2.1トン、ダイヤモンドが3,700カラットあったという。

満州重工業が4億円を投資した鞍山製鉄所の設備は、完成後3ヶ月にしてソ連に持ち
去られ、この時撤去搬出に働かされた日本人は作業完了と同時にシベリア送りとなった。住友金属満州電々、兵器廠、満州飛行機、満州日立等50を超える工場から、工場機械、精密機械、発電機、ボイラー、変圧器などが根こそぎ撤収されました。

この現実を知った蒋介石政府は、満州国の遺産は中国に帰属すると抗議します。「全
部、戦利品である」それがソ連の言い分で、「満州はベルリンと違って、案外物が少ないね」とソ連将校が言ったという。

厚生省76年調査によれば満州での日本軍人・民間人の死者数は24万5千人にのぼる。
ソ連の対日参戦で、命からがら逃避した人々が絶望して、せめて我が子だけは生きてほしいと中国人に託した中国残留孤児問題。日本固有の領土北方四島返還問題。60万人に及ぶ日本人捕虜シベリア抑留問題など悲惨かつ深刻な問題が残されました。

近衛文麿による45年2月14日の上奏文には「昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕
を叫ぶ声次第に勢いを加えつつありと存じ候。かかる主張をなす者は右翼者流なるも背後よりこれを扇動しつつあるは、これによりて国内を混乱に陥れ、革命の目的を達せんとする共産分子なり----」とあるが流石に的を射た指摘でした。

ソ連のスパイ梅津参謀総長・彼の子分で内閣綜合計画局長官池田純久中将はじめ陸軍
中枢、政府中枢特に外務省、宮中までに浸透していた共産主義者らによって、青年将校を煽り本土決戦を直接間接に主張させ、更には和平仲介を最も当てにならないソ連に頼らせる工作をして日本の敗戦決意を最大限に遅延させてソ連参戦を導いたのである。その遅延は米国の広島・長崎の原爆投下をも招いたことを忘れてはならない。


レース結果共鳴チェック