昭和天皇に感動!

45年8月18日の閣議で首相東久邇宮は、全ての政治犯の釈放、言論・集会・結社の自
由の即時実行を指示し、9月29日にマ元帥と会見した時に、共産党員を含む政治犯
全員釈放すると言います。「危険ではないか?」と疑念を呈したマ元帥に、「過激思想には言いたいことを言わせたほうが良い」と10月5日共産党員らが釈放されました。

緊急事態が起きたとき、警察力を支援する軍隊はない。共産主義者が権力を奪取する
のに、これ程好都合、好条件の舞台装置は滅多にあるものではない。日本の共産主義
者達は政治活動の自由を与えられ、その力を急速に増大しつつありました。

9月9日天皇は皇太子に敗戦の原因について手紙を書いている。「我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて、英米を侮ったことである。我が軍人は精神に重きを置き過ぎて科学を忘れたことである。今度の時はあたかも第一次世界大戦独国の如く、軍人が跋扈して大局を考えず、進むを知って退くことを知らなかったからです」----と

吉田外相の就任早々天皇よりマ元帥に会いたいとのご内意があり、吉田がマ元帥に伝
えたところ、「自分から宮中には行けないが、おいで下さるならいつでもお会いする」と言う。マ元帥の幕僚達は天皇をGHQに呼び寄せて権力を誇示することを進言したが「それは日本の国民感情を踏みにじることになる。私は待とう」と言ったという。

マ元帥戦争犯罪者として起訴されないよう天皇が陳情するのではないかと思っていたが、天皇が「全責任を負う」と述べたのに感動します。「明らかに天皇に帰すべきではない責任をも引受けようとする、この勇気に満ちた態度に、私の前にいる天皇が個人としても日本の最上の紳士であることを感じとった」と記しています。

内務省言論統制を緩める気はなく、天皇マ元帥が並んで撮った写真を掲載した朝日、毎日、読売を発禁処分にします。GHQはこの処分を無効として、改めて発行を命令。その後も陰に陽に内務省の抵抗は続きGHQを怒らせます。

10月4日GHQは内務大臣はじめ内務・警察官僚4千名の罷免を突如発表。それは首相の意向に抵抗する内務省系官僚に対するGHQの反発でしたが、自らの内閣の閣僚を罷免されることは東久邇宮のプライドが許すところではなく5日内閣総辞職。これが占領軍の命令に、日本政府がまとまって抵抗の意思を表明した最後となる。

またもや明治憲法の重大な欠陥が露呈したのである。つまり総理大臣には閣僚を任免する権限がなく、どうしても閣僚に対する統制力が弱くなるために閣内不一致が常態化するのである。


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