占領軍の絶対権力

占領軍の住宅施設の建設のために、ただでさえ乏しい日本復興の資材が圧迫された。46年度第3四半期に生産予定の資材の中から占領軍に要求されたものは、鋼管の57%、鋳鉄管の89%、亜鉛引き鉄板の85%、セメントの53%に上る。占領軍の経費負担、この終戦処理費は国家予算歳出の3分の1に当る。

第一次吉田内閣の蔵相石橋湛山が、マーカット経済科学局長に終戦処理費の減額を要求したことで、占領軍に対する反抗的人物としての印象を定着させ公職追放されます。加えてポツダム宣言第十項の「言論、思想の自由の尊重」に違反する『検閲』が極秘に行われ、日本人の精神構造に破壊的な打撃を与えることになる。つまりその後の日本人の視野を狭くさせ、思考を固定化させる弊害となったのである。

検閲はその本来の性格として秘密の作業であるため、検閲の開始、終了の時期は公表されず、占領当局から各新聞社、出版社への通達の形で実施され検閲の存在に言及するのは真っ先に検閲の対象となり、検閲があったという痕跡を残すことも禁止されました。

ジョン・ダワーは「日本人はその新しいタブーを知りそれに従って自ら検閲することを覚えた。誰も最高権力には勝てないことを知って、それに挑戦しようとしなかった」「勝者は民主主義の何のと言いながら考え方が一つの方向に統一されるよう工作し、----占領軍が去り時間が経つにつれ米国人などの外国人は、それが日本人の特性と考えるに至った」と述べている。

検閲の作業は大規模かつ徹底的なものであった。4年間に3億3千万の書簡を開封検閲し80万の電話による会話を盗聴したという。それには日本人の助けが必要となる。

47年3月時点で日本人5,076名が検閲当局に雇用され、給与は900円ないし1,200円が支給された。その経費は総て終戦処理費、日本国民の税金であり占領軍としては金に糸目をつけずに人材を集めたのである。追放等で職を奪われたエリートの多くが生活のために恥を忍んでこの職業に身を投じたのである。

このほか戦後日本の悲惨な世相、飢餓や闇市、占領軍と日本人女性の報道も管制された。広島・長崎の惨禍の実情等を日本人が写真で目にできたのは占領が終わってからである。


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