有末機関

05年に米国立第二公文書館で公開されたCIA文書のなかに河辺虎四郎ファイル=河辺機関、有末精三ファイル=有末機関、服部卓四郎ファイル=服部機関、児玉誉士夫ファイル=児玉機関等々の文書が含まれていました。

中国共産党に反抗するための日本義勇軍マ元帥中国国民党の密約によってうまれたという。マ元帥支那派遣軍総司令官岡村寧次に日本義勇軍を指揮させるために岡村を戦犯として拘束していた国民党に対し早期の無罪放免と日本送還を要求。帰国した岡村は重度の結核で、回復を待てないマ元帥は有末精三中将(大本営参謀部第二部長)に引継がせ、現地指揮は富田直亮少将(中国名=白鴻亮)が執ることになった(白団)

岡村に先立って元大佐辻政信児玉誉士夫も自由の身となり、日本義勇軍の募兵活動を行っている。辻は48年春に国民党の国防部から放免され児玉も同年12月24日に巣鴨プリズンから釈放。49年から有末機関の傘下に児玉機関や里見機関が入るのである。

有末機関は日本義勇軍の派遣によって中国国民党から巨額の資金を得るだけでなく、GHQ黙認のうちに、往路で日本人傭兵を満載した船に、復路では様々な物資を積込みそれを日本で売払って巨利を得ることができたのである。密輸である。

49年8月17日香港船籍の海烈号が川崎の日本鋼管埠頭にペニシリンストレプトマイシンサッカリン時価5億円にのぼる物資を陸揚げしていたところをGHQのCID(民間諜報課)が摘発。逮捕者のなかに五・一五事件犬養毅首相を射殺した三上卓(元海軍中尉)が含まれていたのである。

これは新聞各紙に取り上げられ同年11月18日衆議院法務委員会では、梨木作次郎議員が政府側に問ただします。殖田俊吉法務大臣は「進駐軍がとり扱って」いるので関知しておらず答えられないとしている。やがて追及する梨木も単なる密輸の問題と受け止め、密輸を厳しく取締る方向に話をもっていってしまうのである。

GHQと国民党政府代表も力を合わせて揉み消しを計ったのであり、海烈号事件は氷山の一角に過ぎず「捷真丸事件」や「衣笠丸事件」等々、密輸・密航が続発するのである。


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