日韓基本条約

経済力の向上を背景に池田首相は外交面でも活発に動いた。長年の懸案であった対米債務のガリオア(占領地域救済政府資金)・エロア(同経済復興資金)の返済交渉は61年6月10日債務18億ドルのうち4億9千万ドルを年利2.5%15年年賦で妥結。64年4月1日国際収支悪化を理由とする為替制限が許されないIMF八条国になり、同年4月28日にはOECDに加盟し先進国への仲間入りが果されます。

中国とは政経分離方式を採り、自民党親中派松村謙三が訪中し62年9月19日周恩来首相と会談。同年11月9日廖承志と高碕達之助との間で二人の頭文字をとってLT貿易と呼ばれた綜合貿易協定の覚書が調印されます。

韓国とは61年5月16日の軍事クーデタで同年7月3日に権力を握った朴正煕の政府との間で62年11月12日無償3億ドル、有償2億ドル、経済協力1億ドルで対日請求権問題が決着します。

51年の交渉開始以来14年間、数回にわたり各内閣が交渉を続け日韓基本条約は65年2月20日佐藤内閣の手で仮調印されます。社会党はこれを軍事同盟に発展しアジアの平和を脅かすとし反対したが、同年11月12日衆院、12月11日参院で批准承認案が強硬可決された。

96年8月14日から財団法人女性のためのアジア平和国際基金(アジア女性基金)が従軍慰安婦だった女性たちに償い金を払うことになり、この償い金に橋本龍太郎首相の「総理のおわびの手紙」が添えられました。

この手紙に保阪正康は「当時の事実関係を詳細に調べ、非があれば謝罪すべきは謝罪し、誤認や誤解があれば、それは取り除くことでなければ、正式の謝罪にはならない」「声の大きい者には謝罪するが、そうでなければ知らぬ顔をするという姿勢さえ感じられる」と厳しく批判しています。


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