狂乱物価

田中角栄首相は72年11月13日衆院を解散。この頃通貨危機に対する佐藤内閣末期以来の金融緩和と田中内閣になってからの積極的な経済政策によって国内資金は過剰となり、それが列島改造論による土地投機の過熱をもたらし地価や物価は値上がりを始めていた。

12月10日投票の結果、自民党は前回の300から16議席減らした。社会党は前回の90を118とし、公明党は47から29となった。公明党は70年6月の党大会で政教分離してから最初の総選挙で、70万票減となったのは分離の影響とされた。

政教分離とは69年に藤原弘達著「創価学会を斬る」の刊行を中止させようとして公明党が当時の自民党幹事長田中角栄を通じて藤原に圧力をかけた「言論・出版妨害事件」がもとで党の綱領、規約、人事から宗教色を拭うことにしたことを指す。

全国消費者物価指数の上昇率は73年には11.7%となり、74年には24.5%にもなる。特に生鮮食料品は30%を超えた。地価は60年代末には年20%もの騰貴を示して問題になっていたが73年には42.5%の急騰となり勤労者のマイホームの夢を打ち砕いた。73年11月に蔵相を引受けた福田赳夫のいう狂乱物価であった。

このインフレの原因には、ニクソン・ショック時のドルの流入によって過剰な資金を抱えた大手商社等は、列島改造に煽られ土地投機に走り、各種の商品投機に手を伸ばし、それに伴って値上がり待ちの買占めや売惜しみが大っぴらに行われたのであった。

73年2月14日為替は変動相場制に移り、スミソニアン・レート1ドル308円から264円と急激な円高は続いた。同年10月6日に始まった第四次中東戦争による第一次石油ショックで74年1月には原油価格は3.6倍にもなった。円高にも係わらず石油業界もインフレを強める行動をとったのである。

インフレには政府の責任も大きい。景気が過熱ぎみであることを承知の上で73年度予算の規模を26%増に拡大し、金融も緩め、全国新幹線を計画するなど結果として失政であったことは否めない。


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