米国の報復

下り坂の田中角栄首相は74年7月7日の参院選挙に勝利して退勢を挽回しようとタレント候補を多数立て、200億円といわれる資金にものをいわせた金権選挙に走った。候補者には大企業の応援を割当て、資金・運動員を提供させ下請け孫請け、関連企業も含めて従業員・家族の票を確保させる「企業ぐるみ選挙」を組織した。

結果は−6の129議席で、これにより参院与野党伯仲となる。選挙の最中から金権選挙を批判していた三木武夫副総理・環境庁長官は7月12日に、福田赳夫蔵相は16日に相次いで辞任。福田を引き留められなかった保利茂行政管理庁長官も辞任した。米国では72年民主党本部のウォーターゲートビルに盗聴器が仕掛けられた事件で共和党ニクソン大統領は弾劾され74年8月8日辞任し副大統領フォードが大統領となった。

74年10月10日立花隆文藝春秋に「田中角栄研究―その金脈と人脈」と題した評論を発表。この記事は田中が政治をどのように利用して莫大な資産・政治資金を作ったかを分析していたが特定企業からの贈賄を暴いたものではなく主要新聞各社は殆ど報じません。ところが以後不可解な現象が起こるのである。

元海軍少将ラロックが米議会で「核兵器を搭載可能な艦船は、日本あるいは他の国に寄港する際、核兵器を降ろすことはない」と証言し核持込み疑惑が浮上し大問題となった。その直後の10月22日田中首相が日本外国特派員協会へ講演に出かけると、米人記者を中心に核持込み疑惑ではなく、何故か「田中角栄研究―その金脈と人脈」の問題に質問が集中します。

その翌日朝日新聞と読売新聞が一面トップで報じます。朝日の見出しは「田中金脈追及へ動き急」「政局に重大影響必至」で、読売は「政局に波紋を投げそうになってきた」と報じ、11月1日の朝日では「このまま蓋をすべきではない」という東京電力社長・木川田一隆と「暫定政権でいくしかない」という元日本興業銀行頭取・中山素平の言葉を伝えます。これが米国による新聞―財界を連動させた謀略の構図である。

こういった田中降ろしの大合唱のなかで田中は11月26日に首相の座を降ります。しかし莫大な資金力を持ち、多くの派閥議員を抱える田中の勢力は衰えず、首相を決めるキングメーカーとして力を振い続ける。ここから完全に田中の息の根を止める米国の謀略が始まるのである。

日本を属国にしたい米国は、自主路線を歩む総理大臣はあらゆる謀略を駆使して排除するのである。以後、その恐怖によって米国一辺倒、いわゆる「アメリカのポチ」が日本政界に続々と登場し、世界の嘲笑を買っている。


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