ロッキード事件

田中内閣崩壊後、本来なら前回の総裁選で田中と争った福田赳夫大平正芳らを軸とする争いとなる筈だったが中曽根康弘三木武夫も意欲を見せており、選挙になればカネやポストの約束が乱れ飛ぶ金権選挙となることは目に見えていた。そこで有力候補四人が椎名悦三郎副総裁に裁定を一任。74年12月1日椎名は三木を総裁と裁定した。

三木は12月9日福田を副総理・経企庁長官、大平を蔵相とした内閣をつくる。そしてすぐ諸悪の根源だとする党総裁選に党員による予備選挙を導入する改革、企業献金をなくす政治資金規正法改正等々年来の考えを実現しようとするが、三木派が小派閥のため、党内の反対で潰されたり、骨抜きにされたりする。

76年2月4日米上院外交委員会の多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)でロッキード社の日本に対する旅客機売込み工作資金1000万ドルが児玉誉士夫や輸入代理店丸紅などに渡ったことが明るみに出た。2月6日ロッキード社副会長A・C・コーチャンが「丸紅を通し200万ドルを日本政府高官に渡した」と証言。三木はフォード大統領に親書を送って米側の資料提供を要請。

東京地検はコーチャンらに対して刑事責任を問わないことを条件に米側に尋問を依頼して証言を得て、6月22日丸紅前専務大久保利春を逮捕、続いて7月13日までに丸紅前社長伊藤宏、同前会長檜山広、全日空社長若狭得治を逮捕した。

7月27日前首相田中角栄が秘書榎本敏夫と共に逮捕された。旅客機トライスターを全日空に売込んだ成功報酬として、73年8月から74年3月までに5億円をロ社から受取った容疑であった。さらに8月20日元運輸政務次官佐藤孝行、21日に元運輸相橋本登美三郎が逮捕された。

11月2日灰色高官の名が法相稲葉修から発表された。全日空から金を受取ってはいたが時効になっていたり、権限をもったポストにいなかった等の理由で起訴されなかった二階堂進佐々木秀世、福永一臣、加藤六月の四人である。田中は一審判決(懲役四年、追徴金五億円)で控訴中の85年2月27日脳梗塞で倒れ、最高裁に上告中の93年12月16日に死去したため控訴棄却の決定を行い、裁判は終結した。

中曽根康弘著「天地有情」には「米証券取引委員会からフィンドレ―会計事務所に書類を送ったのがチャーチ委員会に誤送されて公聴会となった。そんなバカなと思いました。これは誰かの政略だと感じました。----コーチャンの尋問に免責を与えたのは日本の刑事訴訟法にはないことで----つまりジャーナリズムの創った雰囲気に法の番人までが冒されたということは司法にとっても戦後日本にとっても大変な恥辱----」

キッシンジャーは私が首相を辞めたあとですが、『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私に言いました」とあります。


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