BIS規制

90年の時点で、総資産で見た世界の金融機関ベスト10というランキングは、一位が第一勧業銀行、二位が三菱銀行、以下住友銀行太陽神戸三井銀行と一位から六位まで日本の銀行が独占していた。

高騰した日本の土地を担保にした日本の銀行の貸付能力に驚異を感じた米国のボルカーFRB(米連邦準備制度理事会)議長は突如、日本の銀行の競争力を削ぐために88年国際決済銀行(BIS)に働きかけ、銀行の自己資本比率に関する規制を決定させた。総リスク資産に対し自己資本比率が8%に達しない銀行は国際業務から撤退させるというのである。

当時日本の企業には倒産という事態は少なく、日本の銀行は貸出額に対する自己資本の比率が低く8%はとてもありません。この決定により当然日本経済と日本の銀行は大きな打撃を受けることになった。

貸出額に対して自己資本を高めるには二つの方法がある。一つは貸出額を減らすことである。このために日本の銀行の貸し渋り貸し剥がしが起り企業活動は停滞した。企業活動が不振になると、貸出は不良債権となった。

もう一つの方法は自己資本そのものを増やすことである。そのため銀行は新たな株式を発行した。大量の新規発行株式が市場に出回った結果、銀行が持っている株式の評価が下がり、自己資本比率も低下することになった。こうして日本の銀行はBIS規制を守ろうとして、自らの経営の悪化と日本経済の悪化を招くことになったのである。

約20年経過した09年、世界の金融機関のベスト10はかろうじて第九位に三菱UFJフィナンシャルグループが入っているだけの見事な凋落ぶりである。

カナダのベンジャミン・フルフォードは「日本のメディアはFRBアメリ中央銀行という名で紹介するが、FRBはその成立から現在に至るまでJ・P・モルガン・チェース銀行やロックフェラー家の影響下にあるシティバンク等の大資本が半数以上の株を所有する私的な法人であり、ドル紙幣を印刷する民間企業」と指摘しています。


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