ふるさと創生一億円

竹下登が87年の自民党総裁選出馬に際し掲げた政策構想は、東京への一極集中型の国土づくりを改め、生活と活動の本拠となる「ふるさと創生」を実現することが必要だとし、住宅の充実、土地対策、多極分散型の国土づくりと日帰り可能は交通網の整備、一省一機関の地方分散や遷都、イベント開催、自然環境の保全などである。

竹下内閣ではその一環として全国の市町村に一律一億円を交付し、その使途については自治体の創意に委ねる施策がとられた。それまでの国庫支出金などが使い道の決まったひも付きに対し、この予算を前にして各市町村ははたと困った。

皮肉だが一番無難だったのは、温泉を掘ったところと金塊を買い入れたところである。確実に住民に喜ばれ、観光客を集めたのはそんな単純なものだったのである。全国の約半数の自治体でふるさと事業が実施されたが、やがて見直しを求める声が高まり99年以降一億円交付は廃止された。

一極集中排除には首都機能の分散が必要といわれたが、国会などの移転は後回しにして、各省庁一機関移転ということになったが、問題はどこに移転するかまで各省庁に任せたことであり、結果は神奈川、千葉、埼玉といった東京近辺に拡散しただけだった。同じ時期にフランスでは、全国規模の分散が行われた。行先は政府の一方的な指名で各地方が一つずつの機関を受入れて成功している。

経済については燃えさかるバブルの火をどう消し止めるかが竹下内閣の課題だった。ようやく急激な地価上昇などは見られなくなってきたが、株価は上がり続けいずれやってくるバブル崩壊へ向けての対策は何もとられなかった。


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