リクルート事件

竹下内閣の瓦解につながるリクルート事件は、消費税の導入論議の最中に明るみに出た。発端は88年6月18日付朝日新聞で報道された。リクルート・コスモス社の川崎誘致時、川崎市助役が同社の未公開株を子会社からの融資で買い、二年後に公開したときの値上がりで一億円の利益をあげたというのである。

6月30日付同紙は、同じ未公開株が自民党政調会長渡辺美智雄、前農相加藤六月、元防衛庁長官加藤紘一民社党委員長塚本三郎らに渡っていた事実を報道。

7月6日付では、リクルート関連非公開株の譲渡 / 政界首脳の秘書名登場 / 中曽根・安部・宮沢三氏 / 公開の直後に売却 / 中曽根氏は首相在任時 / 代金一億四千万円をなどと報じた。翌日には竹下首相の秘書にも譲渡されていたことが報じられた。12月9日宮沢副総理・蔵相は自身についての釈明が二転三転したことの責任を負って辞任。

89年1月7日、昭和天皇が87歳で崩御元号が平成と改められた。未公開株はリクルート社会長江副浩正から政界、官界、マスコミ幹部などにばら撒かれ、江副は2月13日、直接にはNTT取締役らへの贈賄容疑で逮捕された。

4月1日から消費税がスタートしたが、それを実現させた竹下は4月11日衆院予算委で、自分と秘書がリクルートから献金、パーティー券などの名目で一億五千百万円を受け取っていたとの自己調査結果を公表。そしてこれ以外のものが出るとは予測していないと付け加えた。

しかし朝日新聞は4月22日竹下の秘書が87年の総裁選の時期にリクルート社から五千万円の借金をし、返済していたという事実を報じた。竹下は三日後の25日退陣を表明、26日竹下の金庫番青木伊平が自殺。

事件はこれで終わらず、5月には東京地検が中曽根内閣の官房長官藤波孝生を受託収賄罪の疑いで逮捕。中曽根が衆院予算委に証人喚問されるなどのことがあった。藤波は94年10月17日東京地裁で無罪の一審判決を得た。受け取った金について賄賂性の認識がなかったという理由なのである。


レース結果共鳴チェック