宇野から海部へ

安倍晋太郎宮沢喜一らはリクルート株の譲渡を受けていたため後継総裁に就任するわけにいかず、竹下内閣の外相宇野宗佑(中曽根派)が竹下派の強い支持を得、89年6月2日の自民党両院議員総会で異例の起立多数によって選ばれた。派閥領袖でない者が総裁になったのは自民党史上初である。ところが宇野は組閣直後に元芸者との女性問題を毎日新聞に暴露されてしまう。

7月23日投票の参院選挙は、消費税・リクルート事件・首相の醜聞という三つの条件を背負って行われた。結果は予想を上回る自民党の大敗であった。86年総選挙後に石橋政嗣の退陣を受けて社会党委員長になった土井たか子の人気、それに伴って有利に選挙キャンペーンを展開した女性候補が22人も当選した。(マドンナ旋風)

宇野は、選挙敗北の責任をとって在職68日で退陣。後任は河本派の海部俊樹、二階堂グループだが宮沢派が支援した林義郎、無派閥の石原慎太郎の3人の間で8月8日両院議員・都道府県代議員による投票で争われたが、竹下派の推した海部が勝利した。

この年、ソ連・東欧諸国には体制変革を求めた激動があり、11月9日にはベルリンの壁の崩壊まで発展した。12月2日には地中海のマルタ島でブッシュ・ゴルバチョフの米ソ首脳が会談し、3日には共同記者会見で劇的な冷戦終結が発表された。

内閣支持率の回復をみて海部は90年1月24日衆院を解散した。2月18日投票の総選挙の結果は自民党の当選者が286で、昨年宇野政権下の参院選惨敗を思えば自民党にとっては安堵できるものであった。社会党は86から139へ大きく戻し土井人気が依然続いていることを示し、野党のなかでの社会党のひとり勝ちが際立った。

89年12月30日マクナマラ元国防長官は上院予算委員会で「ソ連の脅威が減少した今、3千億ドルの国防予算は半分に減らせる。この資金は経済の再構築にまわせる」と述べた。しかし「米国の軍事力は世界最強になったのだ。これからもそれを維持すべきだ」という議論が勝利する。

この背景には、ロッキード・マーチンボーイングノースロップ・グラマンレイセオン、ユナイテッド・ディフェンスといった軍産複合体、一言でいえば戦争で一儲けしようという思惑を持った軍需産業の大手企業や一部の金融資本家、米国による世界支配を信奉する政治家、軍人等々の存在がある。


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