「そんな公約守れなくてもたいしたことではない」

小泉純一郎の言動は、従来の永田町・霞ヶ関の常識をすべて否定するような革命的な響きを持っていた。首相就任後の閣僚人事でも派閥の均衡や当選回数によるベテランの処遇という従来の基準を無視した。論功行賞として田中真紀子を外相に、民間から経済財政政策担当相として竹中平蔵を起用した。竹中は米国ハゲタカ・ファンドの代理人である。

また、ハンセン病訴訟で元患者の訴えを認め国を敗訴させた熊本地裁判決について、厚労省官僚の意向を抑えて控訴断念を決断するというパフォーマンスを見せ、国民の喝采を浴び、発足当初の小泉内閣支持率は80%を超える記録的なものとなった。

01年5月小泉は所信表明演説で「国債発行30兆円以下」「公共事業の見直し、削減」など財政構造改革を打出した。平成14年度の予算は公約を達成するために、特別会計などから隠れ借金を行い、公約の30兆円に収めた。しかし35兆円近い国債を発行せねばならなくなった。緊縮財政のために税収が落ち込んだためである。同じことが翌年も、その翌年も繰り返された。

野党に追及された小泉は「そんな公約、守れなくてもたいしたことではない」と嘯いた。これが森前首相だったら大変な騒ぎになったであろう。マスコミも国民も苦笑いするだけで、全く問題にならなかった。まさに大蔵族小泉に恐いものナシなのである。

小泉ブームが続いたまま01年7月参院選挙が行われ、自民党は64議席を得て大勝した。比例代表の得票は2,100万票余りで、前回の5割増となった。尚民主党はマイナス1の26、小沢自由党は6で前回と同数であった。

02年1月29日小泉は田中外相と野上義二外務事務次官を更迭した。田中と外務省事務当局との間にさまざまな軋轢が生じたのである。テレビを意識した田中が外務官僚たちに示した傲慢な態度は今もなお鮮明に思い出される。田中は品格のカケラも無く毒舌を撒きちらし政治を劣化させただけであった。それでも国民的人気は衰えない。

この更迭劇が問題となった。辞表が出されていない大臣を、辞意だけで閣議で了承して天皇の認証行為を行ったのである。田中は30日午後8時に辞表を提出した。田中更迭後、小泉内閣は急速に支持率を落としていく。


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