日歯連闇献金事件

参院選挙直前の01年7月2日都内の料亭で橋本龍太郎元首相、野中広務自民党幹事長、青木幹雄自民党参院幹事長の3人が、日本歯科医師連盟の臼田貞夫会長から診療報酬改定への配慮などを請託され1億円の小切手を受取った。3人は政治資金収支報告書に記載しないことを決め裏金として処理した。

この裏金が選挙資金に使われていれば公職選挙法違反であり、診療報酬点数が改定されれば贈収賄事件に発展する大事件の筈である。この事件は04年7月発覚した。橋本派政治資金収支報告書を訂正し、橋本は橋本派会長を辞任した。

橋本派幹部からは橋本改造内閣官房長官だった村岡兼造が在宅起訴され、橋本、青木は証拠不充分で不起訴となり、野中は起訴猶予となった。ちなみに起訴猶予は刑訴法上訴追を必要としないだけで犯罪としては成立している。つまり有罪とする証拠があるが起訴を見送る不起訴であって、法的には潔白でも灰色でもない。

東京地方裁判所では橋本、野中、青木が証人として出廷し、3人とも小切手授受の現場に居合わせた記憶はないと主張し、野中は「妻の姉が危篤になり病院に行った。午後8時33分ののぞみで名古屋へ向かった」と具体的にアリバイを主張した。村岡は「幹部会で闇献金の話が出たことはなく、1億円については報道で知った」と全面無罪を主張した。

06年3月東京地方裁判所は村岡に無罪判決を言い渡した。検察は即控訴し、07年5月東京高等裁判所は、禁固10ヶ月執行猶予3年の逆転有罪判決を下した。尚、この判決で野中のアリバイが偽証であると認定された。村岡に冤罪を押付けただけでなく、偽証罪も犯した野中は、02年11月に受章した勲一等旭日大綬章に泥を塗ったのである。

野中は03年10月政界を引退したが、北京五輪開催前の08年4月中国共産党中央対外連絡部長と会談し「チベット問題は中国の内政であり、我々はこの問題を利用したオリンピック大会のボイコットと破壊に反対する」と表明した。国際社会の非難を浴びた中国のチベット弾圧を黙認したのである。野中は北京御用達の代弁者と堕している。

05年9月の郵政選挙に際して、体調を崩していた橋本は小選挙区での出馬を断念、比例での立候補を望んだが、小泉執行部はこれを拒絶、引退を余儀なくされた。比例単独は認めないというのが理由だったが、他候補には認めるという矛盾があった。その二重基準を執行部は説明せず、マスコミも追及しなかった。橋本は06年7月1日死去、68歳だった。


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