FRBのマッチ・ポンプ

一国主義的志向を持つブッシュ政権の発足と9.11のショックは日米の軍事的緊密化を加速した。01年9月15日国務副長官アーミテージ柳井俊二駐米大使に「ショー・ザ・フラッグ」という言葉で圧力をかけ、日本はテロ特措法を制定し自衛隊をインド洋に派遣して、米・英・仏・独艦船への海上給油を実施、アフガニスタン攻撃の後方支援を行った。

さらに、米国は英国と共に03年3月、サダム・フセインアルカイダの首領オサマ・ビン・ラディンと繋がっており、大量破壊兵器を隠匿しているという嘘の理由でイラクを攻撃し、フセイン政権を打倒した。ブッシュ政権の狙いは世界第二位の埋蔵量を誇る石油資源にあったのである。チェイニー副大統領がCEOを務めていたハリバートンは軍隊の兵站業務を請負い、油田、石油関連施設の再建に携わり大きな利益を上げている。

このイラク戦争に対して仏・独両国は強く反対しロシアや中国も支持しなかった。米国に盲従する小泉首相はいち早く米国支持を表明し、イラク特措法を制定して、04年2月には自衛隊イラクに派遣した。サマーワでの復興支援活動の陰で、航空自衛隊は米軍の要請で、バグダッドと南部アリとを結ぶC130輸送機の定期便を作り週一回運航した。

陸上自衛隊イラクから撤収した06年7月以降、航空自衛隊クウェートを起点に周4、5回はアリ便、バグダッド便、バグダッド経由アルビル便の3ルートで定期的な運航を実施し、米兵からタクシーと呼ばれた。こうした活動について名古屋高裁は08年4月17日武装した米兵を戦闘中のバグダッドへ空輸することを「違憲」とした。

サダム・フセイン大統領は、03年12月出身地ティクリート近郊で米軍に拘束され、旧政権幹部を裁く特別法廷で死刑を言い渡され、06年12月30日絞首刑となった。イランと同様、石油取引をユーロでやろうと画策していたフセインの死は必然であった。

同時多発テロが起きた01年9月から03年6月にかけて、戦争特需を背景に米国中央銀行FRB議長グリーンスパンはFFレートを3.5%から1%まで急低下させた。そして金利を下げたグリーンスパンは、じわじわと金利を上げ始めた。意図的にバブルを作ったら、今度はバブルを潰すという動きである。04年6月から0.25%の利上げを16回も繰返し、06年6月の金利は5.25%となった。

この間、サブプライムローンが大激増して住宅バブルは充分に膨らんだ。そしてグリーンスパンFRB議長を退任した。07年、サブプライム問題が火を噴くこととなる。


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