小泉訪朝

02年に入ると、外務省主流派から疎んじられいた鈴木宗男衆院議員運営委員長の北方領土疑惑が刑事事件となって逮捕されることになり、鎌ヶ谷市汚職疑惑で参院議長の井上裕が議員を辞職し、加藤紘一の秘書が公共事業の口利きで刑事事件となった。一連の事件は、自民党に根を下ろしている利権政治を改革することが如何に難しいかを物語っている。

小泉内閣のもとで不景気は深刻化した。失業率は5%を超え株価は8,000円を割り込んだ。金融機関の破綻も続き経済危機の到来が囁かれた。しかし小泉首相は景気刺激策への転換を頑なに拒んだ。

90年代以降、北朝鮮核兵器開発の姿勢を否定せずミサイル発射実験も行っていた。その北朝鮮を02年9月17日小泉首相拉致問題解決のために訪問し、小泉内閣の支持率を再浮上させた。金正日総書記は日本人拉致の事実を認め、拉致した日本人13人のうち8人が死亡5人が生存と言明し「日朝平壌宣言」に署名した。しかし北朝鮮から死亡の証拠として出されたものはすべて捏造であった。

10月15日には拉致被害者5人が一時帰国した。まもなく本人たちの意思で日本に残ることとなり、政府は北朝鮮に戻さず永住帰国させる方針を決定した。04年5月22日小泉首相は再訪朝し、先に帰国していた拉致被害者の夫や子供たちが帰国を果した。

日本政府は「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」との方針により解決を目指し、再調査の約束を取り付けた。しかし北朝鮮はその再調査を反古にした。それは小泉長期政権後、次々と政権を投出す日本の政治を見透かしたもので、拉致問題解決の見通しは立っていない。そして拉致問題北朝鮮の核保有をめぐる六ヵ国協議のなかでますます埋没していく。

現在、北朝鮮は「日朝首脳会談において拉致問題は解決している」と主張している。さらに「日本が解決済みの拉致問題を意図的に歪曲し誇張するのは、日本軍が過去に朝鮮人民に働いた犯罪を覆い隠すための政略的目的に悪用するためだ」としている。

拉致問題による北朝鮮への反感の高まりは、軍事的脅威への警戒感を強めた。小泉首相は「北朝鮮との間で軍事紛争が起こった時、日本の安全を守るためには米国の軍事力が不可欠であり、米国に助けて貰うためにはアフガニスタンイラクで米国の軍事行動に協力しなければならない」と説明した。しかし、日本有事に米軍が参戦するには米国議会の承認が必要となる。過剰に期待しないほうがいい。


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