民由合併

政権獲得戦略のあり方で悩んでいた民主党代表・鳩山由紀夫は、02年11月29日突然民主党自由党の合併構想を発表した。仕掛人は元衆院議員・松野頼三(自民党)であった。ところが鳩山は民主党内で充分な説明をしておらず、記者会見で小沢一郎自由党代表を民主党代表とする可能性にまで触れたため民主党内が混乱し、鳩山は代表を辞め菅直人が代表となった。

03年1月民主党自由党の代表者による「政権構想協議会」が発足した。延々と協議を続けたが5月に打ち切りとなった。自由党は6月27日の常任幹事会で民主党との合併はないことを確認した。7月中旬菅民主党代表が突然自由党との合併話を蒸し返した。菅と小沢は極秘の会談を続け7月23日深夜、合意書に署名した。

合併の要点は、民主党を存続政党とし自由党は解散する。代表及び執行部は現民主党のままで代えない。規約・政策は民主党のものを継承する。という自由党議員にとって屈辱的な条件となった。政策も体質も異なる両党がそれを詰めず、両党は合意時点で衆院136人、参院で66人の勢力となった。菅と小沢は「数の力」というただ一点で、政権交代へ突き進んだのである。

9月26日には新しい民主党として合併党大会が開かれた。ところが、合併党大会の二日前菅は小沢に対し2億9,540万円ものカネを寄付名目で資金提供した。この問題を10年1月21日衆院予算委員会自民党小里泰弘が追及した。

鳩山政権の財務相・菅は「政党助成金の支出のときは民主党一本で、合併した人数分を含めて入ってくるので、それに見合った形で寄付させていただいた」と政党助成金を担保としたような答弁をした。つまり菅はなりふりかまわずに、小沢の持つ政治手法を許容したのだ。その象徴が約3億円の資金提供だったのである。

また合併当日の03年9月26日、小沢は自由党所属国会議員35名に500万円ずつ支出した。さらに小沢は同日、自分自身の政治団体である「改革国民会議」に13億6,186万円を支出して自由党の政治資金残高をゼロとした。このうち5億6,096万4,143円は税金を原資とする政党助成金である。小沢は94年12月新生党解散時と同じ手法を繰返えしたのである。政党助成法には、政党解散時に残高は国に返還しなくてはならない旨が明記されている。



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