大量の為替介入

03年春以降、日本は総額32兆円を超える為替介入を行った。多いときには1日のドル買いが1兆数千億円に及ぶ、世界の常識を外れた巨額の介入である。財務省は介入枠を使い切ると、保有する米国債を日銀に売って、さらにドルを買った。介入の司令塔である溝口善兵衛財務官は、国際市場からミスタードルの異名を奉られた。日銀の福井俊彦総裁も量的緩和政策を執り、円が市場に流れるに任せ円安ドル高を誘導した。

日本政府のドル買いは、日本経済だけでなく米国経済をも支える役割を果した。イラク戦争により好調な米国経済だったが米国債の暴落懸念が大きかったからである。さらに買ったドルの過半が米国債に投資された。03年の米国債の発行増分の44%を日本が購入したのである。巨額の資金が米国に流入し、米国株価、世界の株価、回りまわって日本の株価も押し上げる結果となった。

そこにりそなへ2兆円の公的資金が加わったのだから株価は急上昇しないわけがない。株価は03年4月の7,607円から9月には1,1000円を記録するまで上昇した。「改革なくして回復なし、だから言ったでしょう」小泉首相は得意満面に胸を張った。だが、この局面で国内の投資家はいずれも売り越しており、買い越しだったのは外国人投資家だけだった。彼等の買越額は14兆円を超え巨額の利益を獲得した。

多くの日本国民は景気回復の実感を持てずにいた。小泉応援団のマスコミまで「実感なき景気回復」と書き立てた。政府の発表と国民の実感の間には、かってないほどの落差が生じていた。つまり、日本経済は各企業の売上が恒常的に伸びないデフレスパイラルに陥っていたのである。

自民党総裁選が行われたのは、ちょうどこのタイミングであった。経済悪化から再選が危ぶまれた小泉だったが一回目の投票でやすやすと再選を決めたのである。総裁選の余勢を駆って小泉は10月衆議院を解散し、11月9日総選挙を行った。選挙直前に自由党と合併した民主党マニフェスト選挙を仕掛け、177議席を獲得し戦後政治史上野党としては最大の勢力となった。また比例代表の得票では自民党を上回った。

自民党は依然として第一党の地位を守っていたが、それは公明党との選挙協力なしにはあり得なかった。公明党小選挙区での候補擁立を断念する一方、自民党に協力することで連立政権において影響力を拡大するという路線を選んだ。民主党は「非自民」の受け皿として規模を拡大してきた。しかし実際に政権を獲得した時に何をするのかという議論を始めると、異質な政治家が集まった民主党は政権構想を共有しているわけではなかった。

さて、米国FRB議長グリーンスパンはFFレートを急低下させ、03年6月には1%とした。日本政府は軌を一にするように大量のドルと米国債を購入した。グリーンスパンの意図するところは、世界大恐慌を惹起するバブル経済の崩壊にある。そのためのバブル膨張・拡大策に日本政府は加担させられ、小泉・竹中はそれを政権浮揚に利用したのである。FRBを所有しているのは、ゴールドマン・サックスリーマン・ブラザーズロスチャイルド銀行等であることを忘れてはならない。


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