名ばかりの道路公団民営化

03年12月の04年予算編成は、公明党の恒久定率減税廃止を認めるか、イラク派兵をどうするかこれが最大の問題となった。暮の慌しい日程で神崎武法代表一行がサマワを数時間視察し安全であることを演出し自衛隊の派兵を了承。その取引として恒久定率減税の廃止を公明党自民党にのませたのである。

道路関係公団の民営化は小泉改革の目玉として自民党分裂の種といわれた。初めから小泉首相自民党参議院会長・青木幹雄の間で話はついていたのだ。04年6月2日「道路4公団民営化関連法案」が成立した。民営化推進委員会は分裂し、結局は公団を株式会社という名の民営化にしただけで、高速道路の整備についての改革は行われなかった。自民党道路族が実をとり、小泉は名をとったと言われる。

委員の一人田中一昭・拓大教授は「名ばかりの民営化で国民を愚弄するものだ」と国会の参考人として発言した。桜井よしこは「首相にとって改革はスローガンになりさえすれば良かったのではないか。そして行革担当大臣・国交相石原伸晃のやる気のなさと無能がある。また、猪瀬直樹は首相の改悪案を改革案であるかのように繕い、世間の目を誤魔化した」と批判している。

顧みれば03年9月の自民党総裁選で青木は小泉首相を支持、自ら小泉の推薦人に名を連ね参議院橋本派をまとめて反小泉野中広務と対立した。橋本派は分裂し、橋本派から立候補した藤井孝男は惨敗する。小泉は国家・国民の利益を無視して、橋本派をぶっ壊してくれた青木に手厚く報いた温情の人なのである。

加えて、89年ベストセラーとなる「NOと言える日本」を執筆した石原慎太郎は「日米安保を終わらせ、自衛すべきだ」と主張していた。その石原は03年4月東京都知事となる。貢米一直線の小泉は石原の子息・伸晃を03年9月国交相に据え、道路公団民営化を巡るヤラセを都知事が批判できないよう、無言の圧力を加えていたのである。

小泉内閣地方財政の改革と称し、国庫補助金地方交付税そして税源移譲の三つを一体として改革しようとした。諮問会議や地方自治体、財務省総務省厚労省文科省の官僚を巻き込んで大論議となった。結局、04年から06年にかけて4兆661億円の補助金が削減され3兆94億円の税源移譲が行われた。事態は中央集権の強化と地方との格差の増大、地方経済の枯渇による混迷は想像を絶する状況となった。

国の官僚が査定する補助金を完全に廃止し直接交付することで、約20%の経費が節約されるという。それが判っていても大蔵省(財務省)族の小泉には、メスを入れることができず、国の財政再建を地方に押付ける三位一体改革となってしまったのである。


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