自民党迷走の始まり

参院選敗北が確実となった07年7月29日の午後、自民党の最大派閥清和会(町村派)の事務所があるグランドプリンスホテル赤坂の一室に、同派の実質的オーナー森喜朗元首相と青木幹雄参院議員会長、それに中川秀直自民党幹事長が秘かに集合した。安倍首相を辞任させ福田康夫暫定内閣をつくるという話合いであった。3人の合意がなると中川は首相公邸に安倍を訪ね辞任を建言した。

しかし3人が密談していた頃、安倍を訪ねていた人物がいた。外相麻生太郎である。「参院選の結果と首班指名は関係ない。引続き安倍さんを支えるから頑張ってくれ」と続投を支持する意向を伝えていたのである。この時間差が安倍続投を決定的にした。

その日の夜、テレビに出演した安倍は「国民の声を厳粛に受け止め、反省すべきは反省しなければならない。改革を進め新しいスタートを切るためにも、これからも総理大臣として責任を果していかなければならない」と続投の意思を国民にアピールした。

安倍は8月に内閣改造を行い、森ら清和会幹部の反対を押切って麻生を幹事長に抜擢した。また官房長官与謝野馨、外相に町村信孝を起用して、アフガン問題のテロ特措法(インド洋海上給油)を延長するかどうか、参院選で解明を公約した消えた年金問題など、難題を抱えたまま秋の臨時国会を迎えることになった。

安倍は参院選敗北のダメージを外交で挽回するため、8月19日にはインドネシア、インド、マレーシアのアジア3ヵ国を歴訪した。歴訪から帰国すると9月8日には、APEC首脳会議に出席するためにシドニーに向けて出発。その時の日米首脳会談で、安倍はテロ特措法の延長をブッシュ大統領に強く求められた。

ところが9月12日衆院で安倍首相の所信表明に対する代表質問が行われる初日、本会議開会の数十分前、安倍は出席して答弁することを拒み、午後二時に記者会見して辞意を表明した。理由は民主党代表小沢一郎に党首会談を拒否され、テロ特措法の延長が困難となり、政権を続ける自信がなくなったということであった。与謝野官房長官が数時間後「辞任は健康上の理由もある」と説明した。永田町だけでなく日本中が唖然とした。

結局、安倍は「機能性胃腸障害」で入院し臨時代理を置くこともなく、自民党総裁選挙を行うことになり二週間にわたる政治空白をつくった。98年の参院選で橋本首相が引責辞任したときの獲得議席数は44である。それに遠く及ばない37議席しかとれなかった安倍は、投票日直後に辞任すべきだったのである。


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