国民投票法

国民投票法については、自民党民主党の間で議論になった問題であった。国民投票法憲法付属法であり、憲法と同時に制定しておくべきであったが、それができなかったのは占領軍によって、10年間憲法を改正させないように抑えられていたからである。当時の吉田茂首相が講和独立の直後に制定準備したが、過激な憲法改正論の影響で、国会に提出できなかった。

その後護憲論や改正論は政治論争となったが、国民投票法は政界にも学界にもなかった。自自連立政権成立後の99年4月6日、参院決算委員会で自由党平野貞夫が「国民の憲法改正権を53年間も放置してよいのか」と副総理宮沢喜一官房長官野中広務に糺したことがことの始まりとなった。その後自由党が中心になって草案もでき、超党派議員連盟も結成され、国民投票法案の整備が行われた。

この法案は手続法とはいえ制定に当って大切なことは、全会一致は望めなくても多くの会派の賛成が必要であった。それは新憲法を制定する場合、両院それぞれで3分の2の賛成が必要であるからで、民主党の賛成が必要条件であった。

06年、07年と自民党は船田元、民主党枝野幸男が窓口となって、ほとんどの事項について合意ができていた。ただ民主党代表小沢一郎が主張する「憲法だけでなく国政の重要問題」についても国民投票できる制度とすることに、自民党公明党は合意できず、自民党は小沢の姿勢を不誠実として、国民投票法案を両院で強行採決して成立させたのである。

枝野は当然小沢の主張に抵抗したが、07年7月の参院選挙を目前にして、憲法に関係する法案を野党第一党が賛成して成立させることは、政治的に民主党が選択できるはずがなかったのである。

この結果、法制度はつくられたものの、わが国の憲法改正もしくは新憲法制定は、よほどの変化のない限りできないようになった。その理由の第一は両院での3分の2以上の賛成による発議という規定をクリアすることは不可能であり、第二は自公両党の強行突破は、今後国会での冷静な憲法論議ができなくなってしまったといえる。


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