空席となった日銀総裁

08年3月19日に日銀総裁福井俊彦の任期が満了になるのを前にした3月7日福田首相は副総裁・武藤敏郎を後任総裁として昇格させる案を衆参両院議院運営委員会に提出した。財界は武藤総裁案を歓迎し、経団連会長・御手洗冨士夫も賛成していた。そして東京金融先物取引所社長・斎藤次郎が武藤総裁の実現を民主党代表小沢一郎に要請している。斎藤と小沢は細川内閣が国民福祉税構想を掲げた頃から密接な関係にある。

ところが、民主党の反対にあい3月12日の参院本会議で否決されてしまう。国会同意人事は両院の賛成が必要で、参院で否決されると直ちに不同意が確定する。鳩山由紀夫幹事長や仙石由人らが財・金分離の原則から、財務事務次官OBを日銀総裁に据えるのは納得できないと主張した。しかし武藤総裁案に反対する鳩山らは対立候補をあげられず「反対のための反対でしかない」と冷ややかな目で見られていた。

そして小沢は世間で言われるほどに民主党内で力を持たない実態を自ら曝け出してしまったのである。3月14日頃、水面下で行われていた自民党国対委員長大島理森民主党国対委員長山岡賢次の間ではアジア開発銀行総裁・黒田東彦日銀総裁とする合意に漕ぎつけていた。ところが17日になって福田が提示したのは福井俊彦を再任する「福井総裁・武藤副総裁」という奇策であった。現状維持案だが民主党は拒否した。

黒田総裁案を福田が蹴ったのは前日16日日曜日にテレビ朝日に出演した鳩山の発言が理由だった。ルーピー(愚か者)鳩山は黒田総裁の可能性を口にしたのだ。黒田総裁が実現すれば民主党としては自らの影響力をアピールできる。それを計算した上での鳩山発言だった。福田にしてみれば民主党主導で日銀総裁を決めたように国民に受取られることは「総理の威厳」にかかわることだった。

3月18日福田は国際協力銀行総裁・田波耕治を日銀総裁に起用する案を提示した。田波は大蔵省の王道を歩いてきたキャリアの持ち主である。常識的に考えれば武藤を拒否した民主党が田波を受入れるわけがない。福田は福井の任期が満了となるタイミングで提示すれば、それを拒否して日銀総裁が空席となったときの責任は民主党が問われることになると踏んだのである。

そこには福田の政局を読むズレと甘さがあった。民主党など野党は19日の参院本会議で田波総裁案を否決・拒否した。日銀総裁を空席にしないことよりも福田を追いつめるという目先の政治課題を優先したのである。

そして、そのまま福井の任期は満了となり日銀総裁空席という前代未聞の異常事態に突入してしまった。日銀総裁空席は金融政策の司令塔がいなくなるということである。それは船長がいなくなって舵のとりようがなくなった船のようなもので嵐でもくれば簡単に沈没しかねない。福田の甘さと目先だけにとらわれた民主党によって、日本丸は沈没の危機に晒されたのである。


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