御名御璽

08年9月1日の福田辞任表明の衝撃が広がりつつあった2日未明、麻生太郎幹事長は党本部で「適任かなと思わないわけではない」と早くも総裁選に出馬する意向を示した。小泉元首相が推す小池百合子・元防衛相(町村派)もその日のうちに立候補への意欲を表明。4日朝、石原伸晃・元政調会長(山崎派)が、与謝野馨・経済財政担当相(無派閥)も出馬を表明した。さらに5日前防衛相・石破茂(津島派)も出馬を表明した。

渡邉恒雄の意向を汲んだ元首相森喜朗は2日夜、東京プリンスホテルに元首相安倍晋三町村信孝、元幹事長・中川秀直、元文科相中山成彬を密かに召集。この席で森は「今回は当面静観する」と言明したが、翌日の日本経済新聞に「町村派は自主投票」と報じられたことに激怒。8日になると森は、同派総会で麻生支持を表明する。

総裁選が盛り上がれば国民に強い印象を与え、その勢いのまま早期解散・総選挙に突入すれば民主党に負ける筈がない。それが福田首相の描いたシナリオであった。しかし、麻生圧勝の状況が国民の興味を遠ざけることになった。12日日本記者クラブ主催の公開討論会で麻生は「バラマキ、失言癖、中国・韓国を敵に回すのではないかとご心配戴いております麻生太郎です」と麻生節を披露する余裕を見せた。

それでも危機感を募らせた民主党幹事長・鳩山由紀夫は、14日テレビ出演し衆院岩手4区選出の小沢一郎代表の次期衆院選での出馬について「岩手からは出ない。多分関東中心に決めるだろう」と発言し、小沢の国替えの可能性を仄めかした。自民党総裁選効果に焦る民主党が国民の耳目を集め、自民党にプレッシャーをかけるための策にすぎなかった。

15日リーマンショックが全世界を襲った。自民党総裁選は予定通り22日に投開票日を迎えた。第一回投票で全体の67%という圧倒的な票数を獲得した麻生が総裁に選出された。町村派の大半が麻生に票を投じたからで、その恩義に報いるため麻生はナント!森に幹事長就任を打診した。「晩節を汚したくない」と拒否した森は「町村君じゃダメなのか」と訊ねている。町村と肌が合わない麻生は、細田博之を指名した。

29日の衆院での所信表明演説の冒頭、「私麻生太郎、この度国権の最高機関による指名、かしこくも御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任致しました」と発言した。これは天皇の政治利用に類するもので、天皇名を使って政府の提出議案に応じよという、潜在意識がもたらしたものと言えよう。首相の発言が天皇の責任に及びかねない発言であり、麻生が議会政治に対して見識がないことを証明したものである。

思えば1912年(大正元年)桂太郎に組閣の大命が降り新党を結成しようとした際、一連の政治行動を天皇の意向であると、桂首相が衆院本会議で答弁。憲政擁護派が桂内閣不信任決議案を提出した。その趣旨弁明に立った尾崎行雄が「玉座を以って胸壁と為し詔勅を以って弾丸に代えて、敵を倒さんとする----」と迫った。この演説を機に第一次護憲運動大正デモクラシー運動が始まる。それ程麻生の発言は重大だったのである。


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