年越し派遣村

リーマン・ショックによる株安で世界の富が08年10月までの1年間で3千兆円も消失した。火元の米国の株価下落率が4割にとどまっているのに、日本の平均株価は、07年6月30日18,138円の高値から08年10月28日の6,994円と6割以上も暴落した。日本の株価暴落が新興国並に大きいのは、それらの国々と同様、他国に依存している部分が大きいからで日本経済は新興国同様、脆弱なのである。

08年10月8日世界の中央銀行政策金利の同時利下げに踏切った。米国は2%から1.5%へさらに同年12月から0%〜0.25%とした。米国より高い金利を許されない日本は同年12月から0.1%とした。

加えて欧米の政策当局は中央銀行が銀行ではない証券会社(投資銀行)に資金を融資した。市場に対する空売り規制、時価会計の緩和、ペイオフの停止、預金保護の拡大等々危機においては何でもありなのだ。危機脱出が最優先されるからである。

08年11月14日〜15日のG20(金融サミット)は、国連の常任理事国問題やIMF世界銀行などの国際機関の見直しへの判断が先送りになり、新しい世界通貨を造る合意もなかった。しかし、この会議で英米の影響力が下がり新興国の発言力が増したことが明確となった。ロシア、フランス、中国など過半数の国は米国が拒否権を持つIMF世界銀行の完全な見直しを求めた。

麻生首相はこうした対立が読めずIMFへの資金提供を誇らしげに提案した。この危機に1千億ドル(約9兆円)を供出しても、砂漠に水を撒くようなものだ。資金に余裕のある中国やサウジアラビアは自国の資金をIMFへ注入することを拒んだ。それに対してG20各国から批判の声が上がったわけでもない。「麻生よ、お前もか!」元首相小泉だけでなく麻生も米国に重大な弱みでも握られているのではないか?

輸出に依存して収益を上げていた日本企業は、リーマン・ショック以後の世界経済の低迷によって一挙に業績不振に陥った。そして派遣切りと呼ばれる非正規労働者の人員整理が行われた。この年の暮にかけて解雇とともに生活の本拠となる寮を退去させられたことで、大量の路上生活者・失業者が発生した。

08年12月31日、日比谷公園に路上生活者が集まり「年越し派遣村」と呼ばれるテント村を作って越年した。テントに収容しきれない人々は、隣接する厚労省庁舎の講堂に寝泊りした。そして年明けとともに生活保護申請や就職斡旋などの支援が行われた。この運動は、貧困者やホームレスの支援を行っているNPO労働組合などが主催したもので、社会に失業、貧困問題の深刻さを知らしめた。


レース結果共鳴チェック