政権交代

発足当初の麻生内閣の支持率は50%で、支持率を上げてから解散総選挙を行いたいと考えていた麻生は、景気浮揚をはかり支持率を上げようと試みる。そのため財務相と金融担当相を信頼する中川昭一に兼務させた。だが、その後の支持率は増々下降する。麻生本人の過去の失言と演説原稿の漢字読み違えが度重なり、首相の威信までもが失墜したのである。

09年1月15日鴻池祥肇官房副長官議員宿舎に女性を宿泊させ、「週刊新潮」に暴露された。この時は民主党鳩山由紀夫幹事長らに辞任を迫られたものの、河村建夫官房長官から注意されただけで辞任には至らなかった。同紙は1月22日には機密漏洩疑惑を、5月13日には4月28日〜30日のGWにJR無料パスを不倫相手との熱海旅行に私用したと報じた。同日鴻池は辞表を提出。麻生の任命責任が大きく問われる問題であった。

さらに09年2月17日ローマで開催されたG7閉幕後、中川は呂律が回らない酩酊状態で記者会見に臨み、その醜態を世界中に晒した。猛批判を浴びた中川は釈明に躍起となったが、3日後大臣職を辞任した。中川にはもともと酒によるトラブルが絶えず、何度も断酒・禁酒を繰返していたのである。09年8月の総選挙の選挙区で民主党石川知裕に敗れ比例区でも復活できなかった。09年10月3日急死。満56歳であった。

麻生内閣の支持率の低さは個人的な問題だけではない。政府の景気対策が企業向け支援のものが多く、経済指標が回復しても雇用など有権者にとって実感できるものではなかったからである。例えば一年後に自分の生活がどうなっているかをみると「苦しくなる」33%が「楽になる」3%を大きく上回っている。特に「苦しくなる」と感じている者は、50代で43%、60代で40%と中高年層に多くみられた。----東京新聞

このため年代別投票予定政党は50代と60代で民主党投票予定が40%を超え、従来、自民党支持層の中核だった中高年層が自民党から離反していることがわかる。このように見ると「民主党に投票したい」ではなく「自民党に投票したくない」が有権者の偽りのない気持ちだったといえるのである。自民党内にも総選挙の苦戦を見越して、麻生降ろしの動きさえ出はじめた。衆院の任期満了が近づくなか、09年7月14日参院麻生首相問責決議案が可決された。

麻生はついに09年7月21日衆院を解散し政権選択の総選挙に突入した。8月30日投票が行われ民主党が単独で308議席を獲得し、戦後初の選挙による明確な政権交代が起った。自民党は184減の119議席にとどまり、歴史的敗北を喫した。公明党も10減の21議席と大きく後退した。9月9日民主党社民党国民新党と連立政権を組むことに合意し参院での過半数を確保した。

解散権は憲法上、内閣の助言によって行われる天皇の権限である(憲法第7条)。首相の個人的専権事項ではない。小泉内閣以来、首相個人がどうにでもできる権限だという風潮が固まった。正当かつ適切な判断で衆院が解散されることが、議会民主政治の原点である。三人の首相がたらい回しで代り、総選挙という民意を受けないまま続ける政権に正当性はない。----元参議院議員平野貞夫


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