最低でも県外----②

10年が明けて辺野古移設案以外の選択肢について、沖縄県内のキャンプ・シュワブ陸上案、ホワイトビーチ案、嘉手納統合案、県外への暫定移設案、グアム・サイパンテニアン案など様々な代替案が報道された。乱立した代替案は96年の橋本・クリントン首脳会談での普天間基地返還合意から、長い年月をかけて検討され否定されてきたものばかりであり、鳩山政権は一つの案に集約できず混乱するばかりであった。

09年9月鳩山政権が非延長を決定した新テロ特措法が10年1月15日失効した。日本は対テロ包囲網から外れ、インド洋での海上自衛隊による補給活動をやめた。日本では殆ど報道されなかったが、米政府や議会の外交スタッフは、異口同音に「鳩山は無責任で許せない」と批判した。加えて米国を除いた「東アジア共同構想」もあって、米国の日本政府に対する苛立ちはピークに達した。

10年1月24日名護市長選が行われ、普天間飛行場辺野古移設反対の新人で民主党社民党国民新党推薦の稲嶺進が接戦の末、移設容認派の現職で自民党公明党の支援を受けた島袋吉和を破って当選した。鳩山はこの市長選を辺野古移設の判断材料にすると明言していたため、県外移設に向けた沖縄県民の要求はさらに高まっていった。一方、辺野古案の実現に向けて尽力していた沖縄県の個人・団体・業界の影響力を大きく削いでしまうことになった。

10年3月31日の党首討論で鳩山は移設先について「今、腹案を持ち合わせている」と発言したものの「県内とか県外とかお答えできない」と述べた。この時点で移設先を鹿児島県徳之島にという流れが強くなっていた。4月28日鳩山は徳之島出身の徳田虎雄衆院議員と会談した。だが、腰の座っていない鳩山は5月4日沖縄を訪れ県知事・仲井眞弘多との会談で「日米の同盟関係、近隣諸国との関係を考えた時に抑止力という観点から、県外移設は難しいという思いになった」と述べた。

5月21日、米国務長官クリントンが来日し、鳩山や岡田外相と会談し普天間基地の移設先に辺野古を盛込む共同声明案に大筋で合意した。5月28日の閣議決定で鳩山は、普天間基地の移設先を辺野古周辺と明記した日米合意を政府方針として確認し、これに反対した社民党党首福島瑞穂を大臣から罷免した。これを受けて福島は連立政権からの離脱を明らかにした。

鳩山のその場しのぎのいい加減な約束によって、日本は同盟国である米国の信頼を失っただけでなく、世界から嘲笑の的となった。米紙ワシントン・ポストのコラムニスト、アル・カーメンは鳩山をルーピー(愚か者)と命名した。日本の総理がここまでバカにされるのは残念だが、これまでの経緯を振り返ると仕方がない。

6月2日午前、鳩山は辞任を表明した民主党両院議員総会での演説で「アメリカに依存し続ける安全保障をこれから50年、100年続けていいとは思いません」と訴えた。この発言は重要だ!日本国民には「日本は日本国民自身が防衛する」という覚悟が必要だ!しかし、鳩山は日本を取巻く国際情勢を総合的に考え、どのような安全保障体制が望ましいのかというグランドデザインなしに、やみくもに自立を志向して失敗した。


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