最低でも県外----③

66年に外務省に入省後、国際情報局長、イラン大使を経て09年まで防衛大学教授を歴任した孫崎享の冷静な視点に注目したい。有事駐留という言葉がある。現在の米軍が駐留する常時駐留ではなく、有事の際だけ日本に駐留するという考え方である。鳩山首相の「最低でも県外」はこの有事駐留を実現するための第一歩であった。だが、在日米軍基地の見直し、中国との関係改善、米国債売却は踏んではならない虎の尾なのである。

米軍による占領時代の48年3月首相となった芦田均は、その前の片山内閣の外相時代から盛んに有事駐留を主張していた。その芦田内閣が成立して3ヶ月後に昭和電工事件が起き、同年10月7日芦田内閣は総辞職。その後芦田自身逮捕されるが、裁判では無罪に終る。有事駐留を許さない米政府の圧力に屈した検察が、芦田に濡れ衣を着せて政治生命を奪ったのである。この手法は日中国交回復を遂げた田中角栄の内閣潰しにも用いられた(ロッキード事件)。

69年外務省内で密かに作成された「わが国の外交政策大綱」には
・核抑止力及び西太平洋における大規模の機動的海空攻撃及び補給力のみを米国に依存し、他は原則としてわが自衛力をもってことにあたるを目途とする。                ・在日米軍基地は逐次縮小・整理するが、原則として自衛隊がこれを引継ぐ。       とあり、これは正に有事駐留の考え方であり、鳩山の構想は荒唐無稽なものではなかったのである。

岡田外相も北沢防衛相も米国の圧力に屈し「県外移転は難しい」と早々に鳩山を見捨てる。それどころか09年10月12日防衛省防衛政策局長・高見沢将林はキャンベル国務次官補に「米側が早期に柔軟な態度を見せるべきではない」と助言したという。高見沢はいったい何処の国の官僚であろうか?日本の首相の意向より米国の意向を優先するという異常事態が、官邸・外務省・防衛省のみならずマスコミ界にも起きていたのである。

日米関係を壊すことになるから予定通り辺野古へ移転すべきとした人々に孫崎は「これは誇張です」と答えている。日本には横須賀、佐世保、三沢、横田、嘉手納などに基地があり、その経費はドイツの3倍、英国の20倍、NATO諸国の1.6倍で世界の半分以上を負担している。普天間基地が無くなっても、日本ほど米軍を優遇している国はないのである。

さらにドイツは日本と違い自国に駐留するNATO軍に対して、自国国内法の適用範囲を広げるため交渉を続け、71年10月、81年5月、93年3月の三回にわたって改定に成功している。レイプされても起訴できない日米地位協定を変えることも決して不可能ではないのである。現在の不平等条約日米地位協定の存在は、米国の圧力に慄く日本政府の怠慢、事なかれ主義、不作為の結果なのである。

日本の政府や検察、マスコミの中には自主自立派を引きずり降ろし、対米追随派にすげ替えるシステムが米国によって埋め込まれている。米国はあらゆる国で諜報工作を展開し都合のいい人間はトコトン利用し、邪魔になれば恫喝・圧力を加えて切捨てるということを繰返してきたのである。


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