菅―小沢・鳩山対立

菅内閣の支持率は10年7月11日の参院選後も低下した。読売新聞が7月12・13日に行った調査では、内閣支持率は38%まで落ち不支持が52%と初めて過半数を上回った。小沢一郎は菅への反発を表面化させた。7月29日に行われた民主党両院議員総会で、参院選敗北を理由に菅に退陣を求める声が噴出。菅は退陣論を退け逆に9月の代表選への出馬を表明した。

9月の代表選は小沢にとっても復権の好機だった。このため菅の政権運営に批判的な議員グループが研究会を立ち上げ、菅と対抗する枠組みづくりに奔走する。鳩山前首相も小沢と歩調を合わせはじめ、民主党は野党に対峙するよりも党内の分裂と対立、そして混乱を迎えることになった。

菅は脱小沢を続ければ小沢グループを敵に回し、小沢と手を組めば世論の支持を失うという厳しい選択を迫られた。結局、菅は脱小沢路線を継続し強気の姿勢を維持していく。次の世代を担うべき岡田克也外相、前原誠司国交相野田佳彦財務相らは、菅の脱小沢を一様に歓迎し、菅を支持する立場を崩さなかった。小沢支持派は出馬を勧める主戦論と挙党体制を求める融和論が交錯していた。

8月25日鳩山は小沢を応援するのが大義であると小沢支持を表明。8月27日のテレビ番組で首相補佐官・寺田学は小沢側から仙石由人官房長官枝野幸男幹事長を代えろという話が再三きていたことを明かした。菅と小沢は8月31日に会談し最後の調整を試みたが、決裂しこの日の夕方小沢は正式に出馬を表明した。

民主党の代表選は国会議員・地方議員・党員の三つの票で構成されていた。小沢は国会議員票で優位に立つことで、勝利の可能性を思い描いていた。9月1日から代表選がはじまったが、そのタイミングを見計らったように9月7日、尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視船に故意に衝突するという、とんでもない事件が発生した。

9月14日予定通りに開かれた臨時党大会で民主党代表選の投開票が行われた。結果は721ポイント対491ポイントで菅の圧勝だった。国会議員票が412P対400Pで菅が小沢を上回り、地方議員票も党員票も菅が小沢を上回った。こうして小沢は「一兵卒になる」と表明し敗北宣言をした。

再選された菅は9月17日の党役員人事や内閣改造で脱小沢路線を貫く。党の要である幹事長に外相だった岡田をあて、枝野を幹事長から幹事長代理に降格してまで党役員に残した。内閣では反小沢の仙石官房長官、野田財務相をそれぞれ留任させ、前原を国交相から外相に横滑りさせる一方、親小沢の原口一博総務相山田正彦農水相は内閣を去った。


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