TPP参加問題

鳩山内閣が米国の工作で失脚させられたのを目の当りにした菅首相は、極端なまでの対米追随路線を志向する。それが最も顕著に現れたのがTPP参加問題に対する態度である。TPPとは、環太平洋地域の国々の間で原則的に関税ゼロとする貿易自由化を目指す協定で、06年からニュージーランド、チリなど四ヵ国で始まった。09年11月には米国も参加の方針を示し、急速にクローズアップされた。

かって米国は毎年「年次改革要望書」を日本に突き付けていたが、09年鳩山内閣が誕生した時この制度を廃止した。米国は鳩山内閣を潰すと、年次改革要望書に代わる新たな戦略を繰出してきた。それがTPPである。

菅は10年10月1日臨時国会での所信表明演説で「TPPなどへの参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏の構築を目指す」と述べ、8日には新成長戦略実現会議でTPPへの参加を検討する方針を示した。だが、仙石官房長官や経済財政相・海江田万里が積極的参加を述べるなか、農水相鹿野道彦経産相大畠章宏は、慎重な検討を求め拙速な参加表明に疑問を呈した。

10月19日のシンポジウムで前原外相は「1.5%(農業関係者)のために98.5%が犠牲になっている」と述べ、経団連会長・米倉弘昌も10月26日の記者会見で「TPPに参加しないと日本は世界の孤児になる。政府関係者には国益を考えてほしい」と述べた。しかし衆議院議員は、小選挙区制になって一つの地域の有権者全体を代表せざるを得なくなったため、明確な意思を示すことは困難であった。

結局、11月9日の閣議決定で「関係国との協議を開始する」と慎重派に配慮した基本方針しか打ち出せず、仙石は会見でTPPの参加決定の時期を11年6月と語り、問題を先送りした。11年1月29日ダボス会議で菅は「私はいま、『第三の開国』を実現するという目標を掲げました。----TPPにつきましては、昨年関係国との協議を始めました」と述べた。

菅が口にした「第三の開国」とは米国側から見た言葉である。第一の開国は、治外法権関税自主権放棄などを定めた幕末の不平等条約、第二の開国は、米国による占領と行政協定による米軍の自由な駐留であり、第三の開国がTPPである。日本側から見ればこの3ッは開国ではなく、従属あるいは占領に他ならない。

菅の第三の開国発言は、対米隷属を宣言したも同然である。菅の第三の開国という言葉は、米国の要人あるいは担当者からブリーフィングを通じて聞かされ、それを「なるほど、そうだ」と鵜呑みにし、そのまま自分の言葉として公の場で発言したのである。そんな彼に米国と対等な立場の外交ができるわけがない。

日本は原爆を落とされ占領を受け、政府も官僚も財界もマスコミも国民すべて、米国のなすがままに従うことが生延びる道であった。その精神態度が現在に至るも終始一貫続いてきた。結果、国益最優先国家・米国が、日本の国富をむしり取った総額は1,000兆円を超えた。そして次はTPPである。


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