内憂外患

10年7月11日参院選に大敗し、9月17日に内閣を改造した菅首相参院で19議席を持つ公明党との連携を模索する。9月26日菅は創価学会の池田名誉会長が創設した東京富士美術館を訪問した。00年の衆院選以来、創価学会を批判してきた菅にとって、大きな方向転換となった。

10月4日東京第五検察審査会は、小沢一郎を起訴相当と議決したと発表する。これは検察審査会としては二度目の議決であった。代表選や内閣改造人事で脱小沢を貫いてきた民主党執行部は、小沢の処分を巡って苦慮する。小沢に除名などの厳しい態度をとることは、小沢と行動を共にする者の離党を招き、民主党が分裂する可能性があったからである。

このため脱小沢路線を主張してきた菅も、小沢に強硬な立場をとることが難しく、これが国民には弱腰と写った。10月5・6日に共同通信社が行った世論調査では「小沢は議員を辞めるべき」が54%「小沢は民主党を離党すべき」が64%にのぼった。また、この時点の菅の内閣支持率48%が11月13日には27%まで落ち込む。結局、民主党執行部は小沢に離党や辞職を求められず処分を先送りし、小沢は公判で闘う姿勢を示した。

民主党マニフェストで企業団体献金を全面禁止する、政治資金規正法改正を掲げていたが、10月26日の常任幹事会で岡田克也幹事長は、企業団体献金の再開を明らかにした。また、11月6日八ッ場ダム建設については、中止方針の棚上げを明らかにした。さらに、参議院242の定数を40削減、衆議院比例定数の180を80削減するとしていたが、11月12日年内の党の方針に国会議員の定数削減を入れることができなかった。

11月14日柳田稔法相が地元広島市で開かれた法相就任を祝う会合で「法務大臣は『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて適切にやっています』の二つを使えばいい」と軽率な発言をした。菅は公明党に配慮し11月22日柳田を解任した。法相は仙石官房長官の兼任となった。10年度補正予算の成立後を狙っていた野党は11月26日深夜、仙石と馬淵澄夫国交相への問責決議案を参議院に提出し可決した。

菅は社民党に再度復縁を持ちかけ、次にたちあがれ日本に連立を持ちかけたが失敗。さらに公明党山口那津男代表は、11年1月9日のNHKの番組のなかで「民主党はこれだけ支持率が下がり、政権担当能力にも疑いを持たれている」と述べ民主党との連携の可能性を否定した。菅は1月14日第二次内閣改造を行った。問責決議を受けていた仙石・馬淵を代え、枝野幸男を後任官房長官に据え、たちあがれ日本与謝野馨を経済財政担当相に迎えた。

1月24日菅は野党からの協力が得られないまま国会を迎えた。1月31日東京地裁陸山会政治資金規正法違反の罪で小沢を強制起訴した。民主党執行部は小沢が自発的に離党することを期待したが、小沢はそのような行動をとらず、民主党の常任幹事会は2月22日小沢を判決確定までの党員資格停止処分とした。


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