東日本大震災と原発事故

11年3月4日参院予算委員会で、在日韓国人から前原誠司外相への政治献金問題が明るみになり、6日前原はこれを認め外相辞任を表明した。さらに3月11日付朝刊で菅首相在日韓国人から100万円を超える政治献金を受取っていたとの記事が掲載された。参院決算委員会で質問された菅は、釣りや会食を共にする仲であるにも係らず「日本人であると思っていた」と白を切り3日後返金した。前原と同じく潔く内閣総辞職すべきであった。

だが、3月11日午後2時46分18秒 日本を未曾有の大震災が襲った。岩手県沖から茨城県沖までの、南北約500キロ東西約200キロが震源域とされる、大地震と大津波によって多数の犠牲者が出たばかりでなく、東京電力福島第一原子力発電所で原子炉の電源が喪失して冷却能力が失われ、炉心が空焚きの状態になるという危険な状況が発生した。

菅内閣は、緊急災害対策本部を立ち上げ菅自らが本部長となり、副本部長に松本龍防災担当相、枝野幸男官房長官片山善博総務相北沢俊美防衛相の四名が就任した。12日朝、菅は枝野の制止を振切ってヘリコプターで福島第一原発を視察した。私は菅の狼狽ぶりに思わず「この大馬鹿者!」と口走り、過去のお遍路姿を思い出していた。首相としての器量に欠ける菅は、心が伴わない形だけのパフォーマンスに走ったのである。

一刻を争う状況のなか現場が首相への対応に時間を割かれたことが、後日批判の的となった。同日、福島第一原発一号機建屋で水素爆発が起き、炉心溶融が懸念された。14日には三号機建屋も水素爆発を起こし、さらに二号機で冷却水の消失が判明し原子炉の蒸気を放出するベントを行うことになった。その後の検証で、地震直後から炉心溶融が始まり、一号機のみならず、二号機・三号機でも炉心溶融が起きていたことが明らかになった。

また14日より福島第一原発、第二原発が緊急停止したため、首都圏の計画停電が実施され、工場の生産のみならず通勤の足などの日常生活にまで大きな影響をもたらした。さらに一号機、三号機の炉心溶融が伝わるなか、どう注水して冷却するか大問題となった。自衛隊のヘリや警視庁の放水車が検討され、最終的には東京消防庁の消防車が放水することになったが、格納容器の圧力が異常値を示してから20時間近くが経過していた。この遅れの理由は海水注入を躊躇ったからである。

この厳しい状況のなか日本政府の中央集権的な体質が見られた。地震発生当日、兵庫県の第一次派遣隊252名が、72時間以内の救助活動をすべく64台の車両で東京に向かったが、消防庁から度重なる待機や転戦指示で、肝心の救助活動は数時間しかできず、結局一人の救出もできないまま兵庫へ戻った。現地との電話回線や防災無線が寸断され、情報が集約されない故の判断だったが、せめて「答えは現場にありき」で現場の判断を優先すべきであった。

菅内閣の危機管理対策のすべてが後手後手にまわるなか、一週間が経過しても原発事故の適切かつ十分な情報を開示しなかったため、各国は日本在留の自国民に独自の退避勧告を出した。フランスは日本からの出国または東京より西への移動を求め、政府機で241人がソウルへ退避した。米国は第一原発から80キロ圏外への退避勧告を出し、チャーター機で100人が台湾へ退避したほか、外交官らの家族約600人に退避許可を出した。


レース結果共鳴チェック