李明博竹島上陸の背景③

11年11月18日ホテルニューオータニで、民団の創団65周年記念式典が開催された。出席した鳩山元首相は「やはり、永住外国人、特に韓国人の地方参政権を早く認めるようにと、これは当たり前の願いだと思います。時間がかかっていることは申し訳けなく思っているが、できる限り来年の通常国会頑張りましょう。皆さんの気持ちが届いたネ、となるように民主党はお約束したい」と挨拶した。

在日韓国人創価学会員は少なくない。公明党は、党代表山口那津男が出席して次の決意を述べた。「とりわけ参政権については公明党は一貫して推進を図ってきた。しかし、公明党単独では実現できない。鳩山元首相から心強い話があった。是非とも民主党あげて合意を固め国会に提出して戴ければ我々は喜んで成立に努力する」

万人が認めるルーピーとはいえ元首相の発言である。その影響力は無視できない。3日前の15日の参院予算委員会野田首相は「私は参政権付与に慎重な立場だ」と答弁している。公務員の選定・罷免は国民固有の権利であるという憲法第15条に違反するとした判例をどうクリアするのか?鳩山は韓国に誠意を示した積りだろうが、できもしない無責任な約束は、二国間の溝を深めるだけだ!

12年7月11日小沢一郎が新党「国民の生活が第一」を立上げ、弱体化した民主党を見限った李明博大統領は、8月10日韓国の歴代大統領として初めて、竹島上陸を強行した。同日「李大統領は、日本カードを使わない大統領だと思っていたが----」と述べ前原政調会長は記者団に苛立ちを見せた。歴代韓国大統領は任期末になると政権浮揚のため日本批判を強めてきたが、野田は「李氏はこれまでと違う」と勝手に思い込み、現実から目をそらしてきたのである。

李が日本に過度の期待を持ち、後に「裏切られた」として強硬になったのは前原や野田が「門前払いではなく余韻を残した方がいい」「慰安婦問題で知恵を絞る」と期待を煽り不必要な約束をしたからである。竹島上陸があっても民主党政権は懲りずに「余韻」を残そうとした。玄葉外相は駐韓大使・武藤正敏に、より強い抗議を意味する「召喚」ではなく「一時帰国」を命じたのである。そして李の強硬姿勢を13年2月大統領に就任した朴槿恵が相続した。

「破壊外交」の著者・阿比留瑠比は、親交を深めた韓国の新民党・元国会議員X氏が語ったことを次のように記述している。「日本は慰安婦狩りなどしていない。二・二六事件は反乱将校らが、東北地方で兵隊の妹らが貧しさのため身売りしなければならないという現実を憤慨して起こした事件である。当時の朝鮮農村はもっと貧しかった」

反日反共を国家スローガンとした李承晩大統領は、日本との国交交渉において植民地支配の不当性を強制しつつ多額の補償金を要求していた。その李ですら慰安婦については一切言及していない。慰安婦がいたということは、当時の人達はみんな知っていたけれど、慰安婦を外交交渉にあげて日本から金を取るということは、あの李ですら考えなかった。貧困による悲劇だとみんな知っていたから問題にされなかったのだ」


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