大惨敗!

12年9月21日民主党代表選挙が行われ、野田首相が再選された。10月1日野田は内閣改造を行い、野田第三次改造内閣を発足させた。自民党は9月26日元首相・安倍晋三自民党総裁に就くと、幹事長に石破茂、副総裁に高村正彦国対委員長浜田靖一と要職にそれぞれ防衛相経験者を配した。防衛相にド素人の一川保夫田中直紀を充てた野田政権と、対照的な布陣とした。

10月23日暴力団関係者との交際や外国人関係企業からの政治献金問題で批判を受けていた法相・田中慶秋が体調不良を理由に辞任し、さらに国家戦略担当相・前原誠司の事務所費問題や、トラブルメーカー田中真紀子文科相による「大学が多過ぎ質が低下している」とする三大学不認可問題が発生した。共同通信社の調査では、再々改造後一カ月で内閣支持率はデッドラインを超え17%となった。

11月14日の党首討論で野田は安倍総裁に対して「国会議員定数削減を来年度通常国会で必ずやり遂げる。それまでの間は議員歳費を引下げるということを約束すれば、11月16日にも衆院を解散する」と明言した。この解散表明は岡田副総理、藤村官房長官らごく少人数にしか知らされておらず、与党の国民新党や自民・公明両党も予想していなかった。16日衆院本会議で横路孝弘が解散を宣言した。

12月16日の総選挙の結果は、民主党57議席に対し自民党294議席であった。前回09年8月30日の総選挙では、民主党308、自民党119であったことを顧みれば予想を超える大惨敗で、民主党政権は3年3ヶ月の幕を閉じた。さらに13年7月21日の参院選民主党は17議席しか獲得できなかった。集団離党した小沢グループもまた、衆参合わせて9名になった。

本来マニフェストは政治家の支持者が自分達の要求を出し、それを調整しながらボトムアップで作るものである。民主党マニフェストトップダウンによって作成されたため、民意を政治に反映させる装置として機能しなかった。マニフェストの中身も票獲得のための各論が中心で、日本の進むべき方向を提示するグランドデザイン、全体構想が皆無に近く、結局、日本の政権交代は権力の交代にとどまってしまったのである。


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