韓国人のベトナム戦争⑤

ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国軍の蛮行について、99年5月週刊誌「ハンギョレ21」が報道し、韓国社会に凄まじい衝撃を与えた。同紙は定期的に続報を報道したが、新聞やテレビはそれに無関心を貫いた。ベトナム戦争に参加した退役軍人達は同紙に猛烈な抗議活動を行った。00年4月米紙ニューズウィークは「8,000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると大々的に報じた。

これによって、韓国軍の暴虐は国際的に注目を浴びるようになった。韓国の退役軍人達の怒りが頂点に達したのは00年6月27日だった。迷彩の戦闘服を着た約2,400人もの軍人「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」がソウルにあるハンギョレ新聞本社前で抗議集会を開いた。だが、集会後も怒りが収まらない一部の軍人達が暴挙に出た。

角材などを振回し同社の社屋に突撃。窓ガラスを割りデスクやパソコンだけでなく、輪転機、電力供給源も切断、新聞や雑誌の印刷を停止させた。その場にいた記者や従業員達も暴行を受け、10人以上が負傷、社屋は半日間占拠され幹部らは監禁された。尚、この枯葉剤戦友会は11年以降、朴槿恵への絶対的な支持を表明する有力な政治団体である。

李明博大統領は09年、国家報勲制度の法案改正文書にベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したため、ベトナム政府の逆鱗に触れ「我々は被害者である。ベトナム戦争の目的がなぜ世界平和の維持なのか」と予定されていた李のベトナム訪問を拒否した。外相会談で「世界平和の維持に貢献」を削除することが約束され、ベトナム訪問が実現した。つまり、韓国政府は参戦目的が外貨稼ぎであったことを隠蔽することができなかったのである。

この一連の外交交渉でベトナム政府は「侵略者は未来志向という言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と韓国政府を批判した。だが、ベトナム政府はその後も、ベトナム戦争時代の韓国軍の虐殺や強姦に関して、韓国政府に正式に謝罪や賠償を求めてはいない。ベトナム人には過去を恨むことは恥だと考え、被害を誇りにする文化はない。60年以上も植民地支配したフランスにさえ謝罪や賠償を要求したことがないのである。

朴槿恵は13年2月大統領に就任以来「加害者と被害者の立場は1000年経っても変わることはない」「日本は慰安婦を侮辱している」とことある毎に、日本政府に対し更なる謝罪と賠償を求めている。朴は13年9月ベトナムを訪問した。朴がこの訪問で歴史問題にどう向き合うか内外の注目を集めた。朴はホー・チ・ミン国家主席の廟を訪れ献花を行ったものの、チュオン・タン・サン主席らとの会談も含め歴史問題には一切言及しなかった。

ソウルの日本大使館前に慰安婦像を建立した韓国挺身隊問題対策協議会が、14年3月ベトナム女性に対する性暴力や民間人虐殺について「韓国政府が真相を究明し公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えた。しかし、東京基督教大学教授・西岡力は「彼女らの実態は反米、反日反韓国、親北朝鮮の左翼団体である」と指摘している。


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