ロスチャイルド家とは--④

1920年代の米国は第一次世界大戦当事国への輸出によって発展した重工業、帰還兵による消費の拡大、自動車工業の躍進、ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の向上、同地への輸出の増加等によって大好況となった。やがて、農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、ソ連の世界市場からの離脱などにより他の生産も過剰になっていった。また、鉄道や石炭産業も不振に陥っていたにもかかわらず、投機熱が煽られた。

24年中頃から個人投資家信用取引により容易に借金ができ、さらに投機熱は高まりダウ平均株価は5年間で5倍に高騰した。そのような状況の下、29年10月24日ゼネラルモーターズの株価が80セント下落したのをきっかけに、11時頃には売り一色となり株価が大暴落した。29年のGDPをピークとすると、34年にはそれが半減。失業率も25%に達し、銀行の取り付け騒ぎも頻発した。

この未曾有の不況を受け、32年フーバー大統領は「証券取引所で行われた空売りなどの行為を徹底的に調査し、それらが銀行システム及びFRBの運営に与えた影響を明らかにする」ことを目的に上院銀行通貨委員会(通称ペコラ委員会)を設置した。

議会での公聴会に呼び出された人物には、J・P・モルガン(モルガン商会最高責任者)、チャールズ・ミッチェル(ナショナルシティ銀行会長)、A・H・ウィギンズ(チェース・ナショナル銀行元会長)などの大物から銀行の顧問弁護士、会計士まで証言者は広範囲に及び、その議事録は1,200ページにも及んだ。

2年間にわたる調査の結果、銀行家たちが証券子会社を通じて、銀行業務と一体的な業務展開をすることによって、巨額の利益を得ていたことが明らかにされた。具体的には株価の操縦やインサイダー取引、利益を隠蔽するための不正帳簿などあらゆる手段が使われていたという。

さらには、元銀行監督官を銀行や証券各社の幹部に登用し、銀行証券への監督を甘くさせるといった不正行為も明らかになった。ペコラ委員会が暴いた事実と成果を基にして、銀行業務と証券業務の分離を定めたグラス・スティーガル法をはじめ、証券法、証券取引所法が成立。さらにウォール街の活動を監視する証券取引委員会(SEC)が設立された。

私は、ウォール街大暴落はFRBによるマッチポンプと見ている。20年代初頭はドルを潤沢に供給して好景気を演出、その後徐々にデフレが進行していたにも関わらず、バブル崩壊を29年10月と定め、ドル供給を意図的に激減させたのである。その背景にはFRBの株主でもありロスチャイルド家代理人でもあるゴールマン・サックスとの綿密な計画があったと考えるべきである。


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