ロスチャイルド家とは--⑪

アルゼンチン政府は、第二次オイルショック時にインフレを許容する金融政策を採用した結果、89年500%のハイパーインフレと累積債務問題に直面した。その対策として91年には1ドル=1ペソのドルペッグ制を導入した。このため海外からの投資によってペソは上昇し経済は上向いたものの、ペソが過大評価のまま固定化されたために輸出がみるみる低下。99年隣国ブラジルは変動相場制となり同国の通貨切下げは、アルゼンチン経済に大打撃を与えた。

しかし、アルゼンチン政府にとって固定相場の撤廃は無理であった。国民の住宅ローンや自動車ローンの80%はドル建てであり、米国やIMFが強く反対したのである。01年夏、IMFの融資条件を達成しようとするアルゼンチン政府が、財政支出を大幅に削ったことが危機のきっかけとなった。労働組合や各種団体がストライキを敢行したため、通貨も国債も暴落したのである。

01年12月1日には預金封鎖が実施され、12月24日ドリゲス・サー暫定大統領は1,320億ドルの対外債務の支払いを一時停止すると発表した。通貨安による輸入品の高騰でハイパーインフレに陥り、02年の失業率は21.5%に達した。加えて社会秩序が崩壊し、略奪、デモ、暴動が頻発するようになり、スペイン、イタリア、イスラエルに移民する人々が続出した。これがIMF(グローバル資本)の冷酷な戦略である。

デフォルト前後に米国人投資家のポール・シンガーは、いくつかのヘッジファンドを通じて、紙屑同然となったアルゼンチン国債を額面の数%で買い漁ったのである。05年と10年に平均75%の債権カットを93%の債権者が呑み、アルゼンチン政府は返済を始めたが、ポール・シンガーは一切の債務交渉に応じるどころか、利息を含めた元本全額の13億3,000万ドルの支払を求めてNY連邦地裁に提訴したのである。

12年11月NY連邦地裁はアルゼンチン政府に対して全額支払い命令と、驚くべきは93%の債権者への支払停止も併せて命令したのである。このためアルゼンチン政府はファンド以外の債権者に支払いしたくてもできなくなった。アルゼンチン政府は地裁の判決に対する見直しを求めたが、米最高裁判所は14年6月16日この訴えを退ける判断を下した。つまり、一国の司法判断が国際的な合意を覆したのである。

米国は行政だけでなく司法も、立法もグローバル資本に支配されているのである。言い換えればグローバル資本は、アメリカという鎧を着て傍若無人を極めていると言っても過言ではない。アルゼンチンのキシロフ経済財務相は支払猶予期限を迎えた7月30日、元手の16倍もの利益を得ようとするファンド側を「ハゲタカだ!」と非難した。

ところで世界のシェールガスの埋蔵量は1位ロシア、2位中国、3位ブラジル、4位米国、5位アルゼンチンと報告されている。アルゼンチンが近い将来シェールガスの輸出大国に転じ、立派な債権国になって欲しいものである。グローバル資本と闘っているアルゼンチンをそしてロシアを世界が支持・応援すべきだ!


レース結果共鳴チェック