虐殺も強姦も無かった--④

42年11月から43年5月にかけてルーズベルトは直々に宋美齢を招聘した。彼女は米国全土を巡回し日本軍による南京大虐殺を喧伝し、抗日戦への援助を訴えた。43年11月蒋介石ルーズベルトチャーチルが戦後の対日処理を決めるカイロ会談を開いた。ルーズベルト蒋介石に沖縄領有を再三すすめたが、毛沢東を倒さねばならない蒋介石は断念せざるを得なかった。この話について悔し涙を呑んだ蒋介石は側近に箝口令を敷いた。

彼等はカイロ宣言の内に「朝鮮の人達は奴隷状態に置かれているので、朝鮮に自由独立をもたらす」と大嘘を記した。この一文は敗戦後半島人による徒党を組んだ日本婦女子への暴行や殺人事件、警察署への乱入、駅前一等地の強奪など夥しい犯罪の原因となった。さらに彼等は史実に反した「慰安婦の強制連行」や「SEX SLAVE」を世界中に流布し今も尚、日本国民の名誉と誇りを貶めている。

44年10月14日ルーズベルトは日本の降伏を早めるため、スターリンに対日参戦を提案した。12月14日スターリンは武器の提供と南樺太・千島列島の領有を要求した。ルーズベルトはその要求を呑み、日ソ中立条約の一方的破棄を促した。45年4月12日ルーズベルト脳卒中で死去しトルーマンが大統領となった。彼は反共を謳う中国国民党への支援を事実上断ち切った。日本軍を中国大陸に引込み疲弊させるという蒋介石の役目は終わったとして切捨てたのである。

45年8月15日の日本敗戦の直前に満州に攻め込んだソ連軍は、日本軍の武装解除によって大量の武器弾薬を鹵獲し、それを毛沢東率いる支那共産党軍に引き渡した。国民党軍は46年1月武器や物資を調達するために、平和に暮らしていた南京城を攻略し、親日支那人を次々に殺害し婦女子を強姦した。さらに44年に死亡した汪兆銘のコンクリート製の墓を爆破して遺体を焼き、彼の一族50余名を逮捕・虐殺するとその遺体をゴミとして廃棄した。

46年6月26日蒋介石は、国民党正規軍160万人を動員し全面侵攻を発した。国共内戦の再開である。毛沢東は47年地主の土地所有を廃止する中国土地法大綱を発表し、大量の農民を味方につけた。しかし地主・資産家などブルジョワジーを徹底的に敵視して掠奪・虐殺・強姦を働くという背景があった。49年4月市街は荒廃し南京市民が疲弊しているところに、共産党軍が雪崩を打って攻め込んできた。いつもの通り国民党軍は算を乱して逃散した。

乱入した共産党軍は国民党軍に協力したとして、南京市民を虐殺し収奪し婦女子を強姦し殺戮した。共産主義者にとって奪うものは財物だけではない。人としての尊厳や貞操、生きる権利のすべてが奪う対象なのである。これが共産主義者の正体であることを日本人は認識しなければならない。この南京事件による死傷者数は10万人とも15万人とも言われ、南京市民の3人に1人が虐殺されたことになる。支那共産党による「南京大虐殺」はあったのだ!

49年10月1日毛沢東中華人民共和国の建国を宣言した。蒋介石の敗因は軍規の乱れによる略奪・強姦・殺戮や組織の腐敗による横領などから、支那人民から見放されたことである。そこで、自虐教育で埋もれてしまった日本人の誇るべき英雄をご覧戴きたい。工藤俊作少佐・中川州男大佐・根本博中将のYouTube 視聴をお奨めしたい。本当の日本軍人の精神・魂を必ずや理解することができるであろう。


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