虐殺も強姦も無かった--⑤

独立総合研究所社長青山繁晴氏は「米軍による広島・長崎の原爆投下は人体実験だった」と指摘している。確かに広島はウラン型であり、長崎はプルトニウム型であった。45年9月米陸海軍軍医団は旧陸軍病院宇品分院に収容された被爆者の調査を一年間にわたって実施したが、収集資料の解析段階での日本の研究者の参加は決して認めることはなかったのである。「勝者によるリンチ」と言うべき東京裁判が開かれた。

46年4月29日GHQ直属の国際検察局は、ワザワザ昭和天皇の誕生日に合わせてA級戦犯28名を起訴した。同年7月南京大虐殺に関する審判が始まり、検察側は最終論告で「6週間に南京市内とその周辺で殺害された市民の概数は26万ないし30万」と主張した。当時のNHKラジオは「真相はこうだ」でこの非人道的な凄惨な状況を、毎日毎晩「こんな悪いことを日本軍はやった」と放送し、新聞もこれを記事にした。史実を無視した日本を貶める報道は70年経った今も続いている。

しかし、48年11月12日に松井石根に対する判決書で述べられた罪状は「この6、7週間の期間において、何千という婦人が強姦され10万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり焼かれたりした」と変わる。同年12月23日皇太子(今上天皇)の誕生日に、濡れ衣を着せられたまま松井は処刑された。つまり米国は自から戦争を仕掛けたことを隠蔽し「日本人は南京で蛮行を働いた。だから原爆投下は当然」と思わせるために、南京大虐殺はどうしても必要だったのである。

ナチスドイツによる「ホロコースト600万人」も全くの嘘であったことが判明している。ソ連軍が45年にアウシュビッツ強制収容所を占領した際、持ち去った死亡リストによれば、41年7月から44年10月の間に収容されたユダヤ人は延べ173,000人で、その内他の収容所へ転出した者は100,743人である。アウシュビッツ収容者の死亡原因は発疹チフスによる者58,240人、自然死2,064人、処刑者117人で、45年1月15日現在の生存者は11,839人となっている。

アンネの日記」で有名なアンネ・フランクアウシュビッツ収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に移送され、チフスに罹って45年3月死亡した。彼女の父親オットー・フランクはアウシュビッツで野外労働に従事させられ、チフスに罹ったが入院して回復し91歳の寿命を全うした。米軍がダッハウ収容所で大量のチクロンBを発見しガス室の決定的証拠とした。だがこれは衣類やマットなどからチフス菌を媒介するシラミを駆除するためのものだった。

では、何故英・米国はホロコースト600万人を躍起になって捏造したのか?世界のユダヤ人への同情を最大化し、パレスチナを植民地とするユダヤ人国家イスラエル建国に反対させないことにあった。つまりロスチャイルド等の戦争ビジネス、石油ビジネスのための残酷な布石であったのである。47年11月国連総会で米国の強硬なパレスチナ分割案が決議され、アラブ側の反対は無視され48年5月イスラエルは建国を宣言した。

05年12月8日イランのアフマディネジャド大統領は訪問先のメッカでの記者会見で「ヒトラーによって無実のユダヤ人が殺されたとして、そのことがユダヤ人のエルサレム占領を支持する理由になるのか?イスラエル国家は虐殺が行われたとされるドイツとオーストリア両国の領内に建設されるべきだ。シオニストどもはヨーロッパの一部を提供することを申し出よ。そしたら我々はそれを支持しよう」と語り、発言内容は年々激化する。

06年3月6日コール元ドイツ首相は、イラン人ビジネスマン達との夕食会の席上「アフマディネジャド大統領が言ったことは、我々が胸に深く秘めていたことだ。我々はこのことを長い間言いたかったが、言う勇気が無かった」と語った。平和に対する罪で裁かれるべきは、ロスチャイルドやロックフェラー等である!!!


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