虐殺も強姦も無かった--⑥

東京裁判で弁護人を務めた米国陸軍少佐ベン・ブルース・ブレイクニーは、46年5月14日心に沁みる弁論を繰広げた。「戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪でない。戦争が合法的だからです。つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ嫌悪すべき行為でも犯罪としての責任は問われなかったのです」以下の発言が始まると同時通訳が停止し、日本語の速記録は「以下通訳なし」として記載されなかった。その内容は以下の通り

「キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々はヒロシマに原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。彼等は殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼等の戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからです。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか」

「原爆を投下した者がいる!この投下を計画しその実行を命じ、それを黙認した者がいる!その人達が裁いている」ウィリアム・ウェブ裁判長は5月17日これを却下、理由は将来宣告するとした。ブレイクニーは63年3月セスナを操縦中、天城山の山腹に激突し死亡。55歳

生年月日を3つ持つ朝日新聞本多勝一は、72年「中国の旅」87年「南京への道」で南京大虐殺を連載しそれぞれ文庫化した。批判が集中すると「文句が有るなら、中国人に言え」と開き直っていた。ところが使われていた写真が全く無関係であったことを指摘され、2014年9月本多は「誤用」であったことを認めた。電気通信大学名誉教授西尾幹二氏は「本多勝一は中国のスパイである」と断じている。

党中央軍事委員会主席・訒小平は、82年に成立した中曽根内閣を警戒し、全国に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して、愛国教育を推進するよう指示を出した。85年2月に南京を視察、建設予定の記念館に「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」と揮毫し、同年8月15日オープンさせた。訒小平東京裁判の判決を「米国の保証書」と捉え、日本軍を戦争に引き摺り込み、共産軍が国共内戦で南京市民を強姦・虐殺したことを隠蔽し、全てを日本の責任とした。だから狡猾な中国人は世界から嫌われる。

許し難きは南京記念館建設に社会党副委員長・田邊誠がカネを出したことだ!彼は「カネは出します。是非---」と実費870万円に対し3,000万円を「総評」に出させたのである!田邊へのキックバックはいくらだったのか?この記念館に献花した売国議員は海部俊樹村山富市野中広務古賀誠、田邊誠、菅直人である。話はそれるが、東京大空襲を指揮したカーチス・E・ルメイの勲一等旭日大綬章贈呈に狂奔したのは小泉純一郎の父、防衛庁長官小泉純也である!昭和天皇はルメイとの勲章の親授も面会も拒否された。

南京安全区国際委員で、国際赤十字の南京分会委員長のジョン・マギー牧師が南京大虐殺を撮影したとするフィルムが91年米国で発見された。映像の大半は中国人が病院で治療を受けている姿であり、大虐殺を裏付けるものは何もなかったのである。マギーは東京裁判で証言台に立っているが、このフィルムを証拠としてすら提出していないのである。

95年、戦後50年を前に米国は原爆投下を非難する国際的な動きが起きることを懸念していた。そこで仕掛けられたのがアイリス・チャンによる「ザ・レイプ・オブ・南京」の出版で、50万部を超えるベストセラーとなった。同書には写真選定のミスを超えた意図的な歪曲が散見され、真実の狭間でノイローゼに陥った彼女は04年自ら頭を撃って死亡する。36歳。彼女もブレイクニーもロスチャイルド等の命令で殺害されたと考えるのが妥当である。


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