朝鮮人虐殺の真実------②

「事務長は『陸上は危険ですから』といふ。何故危険かと問えば『鮮人の暴動です。昨夜来鮮人が暴動を起し市内各所に出没して強盗、強姦、殺人等をやって居る。殊に裁判所附近は最も危険で鮮人は小路に隠れてピストルを以て通行人を狙撃して居るとのことである』といふ」(横浜地方裁判所震災略記)

「横浜方面の不逞鮮人等は京浜間の線路向て鶴嘴を以て線路をぶちこはした。一日夜火災中の強盗強姦犯人はすべて鮮人の所為であった」「今回の凶変を見たる不平鮮人の一味は避難せる到る所の空家等にあたるを幸ひ放火してをることが判り、各署では二日朝来警戒を厳にせる折から、午後に至り市外淀橋のガスタンクに放火せんとする一団を見つけ辛ふじて追い散らしてその一二を逮捕した」

「政府当局でも急に二日午後六時を以て戒厳令をくだし、同時に二百名の鮮人抜刀して目黒競馬場に集合せんとして警官隊と衝突し双方数十名の負傷者を出した。(略) 一方警視庁本部備へつけの鉄道省用自動車を破砕すべく爆弾を以て近寄った一団二十名を逮捕したが逃走した者数知れず」

「同日午後九時頃鮮人の一団三十余名避難民を以て充満した二重橋の広場に切り込んだとの報に接し江口日比谷署長は部下を率ゐ警戒に任じ、十時半頃に至りその一味を発見すると彼等は日比谷公園に逃げこみ、十数名の一団は時の声を挙げて此処に避難してゐる老幼男女を脅かし各所に悲鳴起り (略) 目下警戒に主力を注いでゐるのは渋谷地方で鮮人等はこの方面が焼け残ってゐるので放火をしやうと企んでゐる」 (以上 東京日日新聞23年9月3日)

「牛込の二日夜は不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警戒する為に青年団在郷軍人団及び学生の有志は警察官軍隊と協力して徹宵し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気が漲り (略) 牛込佐土原町では二ヶ所に於て鮮人放火の現場を土佐協会の大学生数名が発見。直ちにもみ消した。又三日朝二人づれの鮮人が井水に猫いらずを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した」(東京日日新聞9月4日)

越中島の糧秣廠(軍馬の秣を収納する倉庫)にはその空地を目当てに本所深川辺りから避難してきた罹災民約三千人が雲集してゐたところが、その入口の方向に当って異様の爆音が連続したと思ふと間もなく糧秣廠は火焔に包まれた。そして爆弾は所々で炸裂する。三千人の避難者は逃場を失って阿鼻叫喚する。遂に生きながら焦熱地獄の修羅場を演出して、一人残らず焼死して仕舞った」

「そして仕事師連中とか在郷軍人団とか青年団とかいふ側において不逞鮮人の物色捜査に着手した。やがて爆弾を携帯せる鮮人を引捕へた。首魁の一人であろうといふので厳重に詰問した挙句遂に彼は次の如く白状した。『我々は今年の或時期に代官連が集合するからこれを狙って爆弾を投下し炸裂せしめ全滅鏖殺を謀らみ、また一方二百十日の厄日には必ずや暴風雨襲来すべければその機に乗じて一旗挙げる陰謀を廻らし機の到来を待ち構えていた』

風向きと反対の方面に火の手が上ったり意外の所から燃え出したりしたのは、正に彼等鮮人が爆弾を投下したためであった事が判然したので、恨みは骨髄に徹し評議忽ち一決してこの鮮人の首は直に一刀の下に刎ね飛ばされた」(以上 河北新報9月6日)      これが言われるところの「虐殺」のカウントに加えられているのだが、避難して殺された犠牲者の立場を考えれば当然の処置だったと言わざるを得ない。

「品川は三日に横浜方面から三百人位の朝鮮人が押寄せ掠奪したり爆弾を投じたりするので近所の住民は獲物を以て戦ひました。鮮人は鉄砲や日本刀で掛るので危険でした。其中に第三連隊がやってきて鮮人は大分殺されましたが鮮人に間違はれて殺された者が沢山ありました」(北海タイムス9月6日)


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