姓名を奪った?それも嘘!

日清戦争で勝利した日本は、清国と1895年4月17日下関条約(中国では馬韓条約)を締結した。その第一条に「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス。因テ右独立自主ヲ損害スへキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スへシ」とある。そして台湾・澎湖諸島遼東半島を割譲させた伊藤博文はロシアの誘いでフランス・ドイツも加わった三国干渉に屈し、同年11月遼東半島を清国に返還した。

ロシアは清の李鴻章を買収し、シベリア鉄道ウラジオストクへ早く通すため清の領土内に東清鉄道を敷く敷設権を獲得し、同時に日本が返還した遼東半島の先端の旅順・大連も租借地とし、永年の悲願であった不凍港を手に入れた。習近平がどうしても日本を侵略国にしたいのであれば、アヘン戦争清仏戦争を仕掛けた英国・フランスそしてロシアも侵略国にしなければならない。

さて、清から解放された李朝第26代国王高宗は1897年10月12日大韓帝国初代皇帝に即位した。さらに明代および清代に朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって使者を迎えた迎恩門は柱礎だけを残して撤去し、その隣りに「独立門」を造った。主権も国王も日本に奪われたと教育されている韓国人は、この独立門を「日本に勝利して独立したことを記念する門である」と思い込んでいる。日本は韓国と一度も戦争したことは無い。この事実をせめて日本人はキチンと認識しよう。

姓名を奪った。私は、いわゆる創始改名の強制を、日本国内に横溢する反日図書によって信じてしまっていた。実際は日韓併合後の1911年朝鮮総督府朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していたのである。それは日本への密航増加や治安上の問題を憂慮していたためで、それが変更されたキッカケは朝鮮人満州開拓団から強い要望があったからだ。

満州では朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪・放火・虐殺など甚大な被害を受けていた。日本名を名乗れば名実共に日本臣民となり、侮辱されなくなるというのである。半島の朝鮮人も「日本人になって30年近く経っても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」という不満が高まり、1939年朝鮮総督府は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能とした。当時の南次郎総督は三度も「強制してはならぬ」という通達を出している。

この「創始改名」によって、5年間で全朝鮮戸籍の80%以上が日本風の姓に、全人口の約10%が日本人名を名乗るに至ったと推定されている。また日本名を名乗らなくても不利益を被らなかった軍人・政治家・スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人達もかなりいた。これは創始改名が強制ではなかったという証拠の一つである。

韓国の某大学学長は当時の史実を次のように評価している。「私は平素学生に対して韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。日本の韓国併合に対して米国も英国も誰も抗議しなかった。世界は当然のような顔をして受止めていた。それは何故か?日清戦争の時、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。日本が戦って清国を追い払った。

ロシアが入ってきた時も我々は戦わなかった。日本軍が血を流して戦い朝鮮からロシアを追出した。だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。韓国は自ら滅んだのだ。責任を日本に押付ける前に、我々は戦わなかったから滅びたことを知らねばならない」しかし現在の韓国は李朝時代に逆戻りしてしまった。いや、500年の陋習を打破れないのだ。将来ある子孫に正しい歴史、さらに正直、誠実さを教育しない限り韓国の明日は無い!!


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