韓国独立記念館も歴史捏造

韓国の反日のための独立記念館建設は、1982年6月の第一次教科書問題が発端となった。同館は全斗煥大統領が韓国民の募金で、87年8月15日の光復節に合わせて開館した博物館である。教科書問題は日中戦争に関わる記述を「侵略」から「進攻」へと書換えたため、中国が猛烈に反発したのである。そもそも邦人虐殺など度重なる挑発に対抗することを「侵略」と言うのだろうか?

韓国全土の子供達が見学する独立記念館は全部で7館あるが、その一つに「日帝侵略館」がある。その中の蝋人形による拷問シーンの再現は歴史捏造の極みである。拷問場面は複数あるが、特に日本の憲兵が女性の衣服を剥ぎ取り、悲鳴や呻き声を伴う凌辱シーンなど筆舌に尽し難い内容となっている。これらの拷問シーンは、大韓民国臨時政府第2代大統領・朴殷植が著した「朝鮮独立運動之血史」という全く信憑性に欠ける資料に基づいて再現されたものである。

李朝時代、朝鮮では残酷な拷問や処刑が繰広げられていた。朝鮮が日本の保護国となり統監政治が始まると、そのような拷問を廃止し刑務所も広く清潔に改造した。拷問の禁止は京幾道地方裁判所の法務補佐官・島村忠次郎が伊藤博文統監に申し入れて法令となった。1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。例外的に罰金が払えない罪人のために、笞刑は笞を小型化し医師が立会って執行した。

ところが法で禁じたにも関わらず、朝鮮語が解らない日本人に代って、法の執行を行うべく採用した朝鮮人補助員達は、これまでの宿怨を晴らそうと、日本人憲兵警察が帰宅した夜間、同胞朝鮮人達に過酷な暴行・拷問を始めたのである。これが「日帝侵略館」の蝋人形の真実の姿である。私は弱者に対して凶暴に振舞う朝鮮人の性向を、昔から続く悪弊「試し腹」に原因があると思っている。

極端な男尊女卑国家?(李朝は国家と言い難いが--)朝鮮では女性は子供を産む道具であると奴隷扱いしていた。女性は主に家長たる父親に強姦され妊娠した状態で結婚するという。この通り健康な女だと言いたいのだ。しかし夫は産まれてくる子を愛せるだろうか?その子はやがて父は実の父ではないことを知るだろう。どんな気持ちだろうか?やり場のない悲しみ、苦しみ、怒りが死ぬまで続くのである。だから朝鮮人は些細なことで直ぐ切れてしまう。

当然、伊藤統監はこの忌わしい奇習を禁止した。遵法精神に乏しい朝鮮人である。それがどこまで徹底したか疑問が残る。李承晩以降の韓国政府は李朝時代を徹底的に美化するために、併合時代を日本の侵略・掠奪と決めつけなければならなかったのである。朴槿恵大統領に至っては日本軍の慰安婦強制連行・性の奴隷など世界に吹聴したが、その大嘘がバレて自国の品格を貶めていることに気付きもしない。

FRBの設立を許した米大統領ウッドロウ・ウイルソン第一次世界大戦末期の1918年1月8日十四カ条の平和原則を発表した。十四カ条の一つ民族自決主張は、ロスチャイルド等の思惑通り、次なる世界大戦の火種を世界中にばら撒く結果となった。朝鮮では1919年三・一独立運動(万歳事件)を、インドでは同年4月6日ガンジーが指導する民族独立運動を、中国では同年張国菇が排日の五・四運動を引き起こした。尚、朝鮮の独立運動を扇動したのは朝鮮キリスト教会の宣教師達であった。

総督府警務局の報告に三・一運動による日本側の被害は、官憲の死者8人、負傷者158人、暴民死者553人、暴民負傷者1,409人という数字がある。朴殷植は朝鮮人死者7,509人、負傷者15,849人と記した。ところが1953年に李承晩政権が作成した名簿の死者は630人である。暴動の逮捕者には三度の食事が与えられ拷問や虐待も無く、弁護士がつき近代的な裁判を受けた。死刑に処せられた者は一人もいない。リーダー格の崔麟、崔南善、朴煕道などは出所後親日に転向した。


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