食生活の窮乏

主食の国家管理は七分搗きだった米が42年(昭和17)秋から五分搗きとなり、43年1月
から二分搗きになった。そればかりか押麦・高粱・とうもろこし等の雑穀が混入され、
馬鈴薯・うどん・乾パンが総合配給となり、東京では44年4月から雑炊食堂が開かれ
一般市民が連日長蛇の列を作りました。

統制強化は必然的にヤミを生み、ヤミ値は急騰します。43年5月4円だったヤミ米
升が44年には10円、15円になります。味噌・醤油・砂糖・食用油などの調味料も
配給制となり、44年8月から砂糖の配給が停止され人々の飢えは頂点に達します。

マッチ・石鹸・ロウソク等の生活必需品も総て切符配給制になり、43年頃から買いだ
めや売惜しみが激しく、どの品物でも手に入れるためには行列しなければならなくな
った。特に衣料の不足は激しく、44年の衣糧供給量は37年の7・4%にすぎないのだ。

女性の服装は古着を更生したモンペ姿、男子はカーキ色の「国防色」に塗りつぶされ
たスフの国民服となります。

牛乳・食肉・酒・たばこ・薪炭に至る生活物資が配給統制され、人々は買出しに走っ
たものの入手できず、栄養不足のために母乳の飲めない乳児や虚弱児童が増え、この
時期に生まれた子供の体位は低下しました。

永井荷風は「開戦以来現代民衆の心情ほど解し難きはなし。多年生活せし職業を奪われ徴集せらるるもさして悲しまず、空襲近しと言われても更に驚き騒がず。何事の起り来るも唯なりゆきに任せて寸毫の感激をも催すこと無きが如し。彼等は唯電車の乗り降りに必死となりて先を争うのみ。是現代一般の世相なるべく全く不可解の状態」と表現。

国民は軍や軍需工場・統制団体の関係者が戦争遂行に奉仕しているとの名目のもとに
役得・不正を行っている姿を見て、「世の中は星(陸軍)に碇(海軍)に闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」と実感するのである。


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